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Theme 4: 自粛(全2話 その2)

voluntary restraint

医師/精神分析家(慶應義塾大学環境情報学部)
岡田暁宜(おかだ・あきよし)さんが綴るワンテーマ・エッセイ
《ぼくたちコロナ世代》避密ライフのこころの秘密
マスク検温消毒から一転して、発想/行動のテーマ…


2/2 コロナライフで「要請」される自粛


 コロナライフにおいて私たちが何度も聞いている“自粛”とは、「感染拡大防止という社会集団における共通の利益のために、各個人が感染の危険性の高い場所に行くことを控えること」といえるでしょう。
 「不要不急の外出自粛等の要請」という語句を聞いて、私が連想するのは道徳という言葉でした。中学校学習指導要領の〈道徳〉項目における、集団や社会とのかかわりに関することのなかに「自己が属する様々な集団の意義についての理解を深め、役割と責任を自覚し集団生活の向上に努める」と明記されています。政府の“自粛”要請は、私たちがかつて学んだ青年期のこころに、はたらきかけているように思います。
 しかし、全体主義から個人主義へとシフトした現代社会において、政府の自粛“要請”に対する個人の考え方はさまざまであり、一様ではないと思います。

1) 自粛の要請を「暗黙の強制」であると体験する人。
2) 実際には「他」粛であるので「自」粛要請という言葉に矛盾を感じる人。
3) 命令ではなく罰則もないという理由で、行動変容につながらない人。
4) 個人のなかで「自由と自粛」を「本音と建前」として使い分けている人。
5) 他人には「自粛」を求めて自分には「自由」を与えている人。
6) 一律に自粛を要請することや補償がないことの問題を批判する人。
7) 自粛要請をする一方でGo Toキャンペーンをしていることの、矛盾や二重メッセージを指摘する人。
8) 自粛という行動や要請という発信に「日本文化の良さ」があると思う人。
9) 自粛要請が、地域の「村社会」化を促進し、個人の自由を奪い、差別や排除を生む、と考える人。

 このように、さまざまでしょう。これらは、性格・教育・立場・地域・世代・時期などによって、あるいは観察する側の立場によっても異なると思いますが、いずれも、ある点を捉えているように思います。


 私はコロナライフにおける“自粛”要請を経験するなか、「個人は社会のために、社会は個人のために」ということを感じましたが、同時に、「個人と社会の葛藤」というものも感じました。
 私は、コロナライフにおける自粛や自粛“要請”において、「強制しなくても行動を慎んでくれることを、期待する政府」の発想、あるいは「強制されていないので自粛しなくてもよい、と考える国民」の行動のなかに、精神分析家、土居健郎のいう“甘え”を感じるのです。

(Theme  5: ???につづく)


”自粛"要請に対する上記9つの発想×行動について
皆さんは、どれかに当てはまりましたか?
コロナライフも長期化してきましたので
スタートした当初とは「こころの内側」も「外に向けた対応」も
変化してるかもしれませんね。
社会生活の中で「本音と建前」を自然と使い分けて、
そのときどきの相手、自分の立場、環境などなど
様々な要素が絡み合い、自分の行動を決める日々が続きます。
そこは、”コロナライフ”で始まった事ではないのですが
”コロナライフ”以降は一人で行動することが多くなったことで
自分の思考過程や行動を振り返る時間も増えたように思えます。
「これって本音?」「いったいどうしたいのか?」「これでよかったの?」
どうやら自問自答や独り言が増えるいっぽうです。

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