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「もののけ姫」にみる、蝦夷とハンセン病〜「生きろ」〜

私はジブリが大好きです。
特に幼少期、私は「もののけ姫」をよく見て育ちました。
当時の私に、「もののけ姫」を見てもわからなかったことは多かったはずですが、それでも強く惹きつけるものがあったのでしょう。

果たして、あんなにも強く惹きつけたのは何だったのか・・・。
大人になって「もののけ姫」を見るたびに、新たな発見があります。
先日、金曜ロードショーで改めて「もののけ姫」を見て、色々と考えたことがあったのでまとめてみました。


アシタカの部族・蝦夷について

主人公・アシタカは、蝦夷(えみし)の一族の末裔でした。

蝦夷とはその昔、東北地方に原住していた民の呼び名です。
朝廷が進めていた中央集権国家制度に最後まで抗い、東北の地を守り続けていました。
奈良時代になると蝦夷への弾圧は本格化し、平安時代に征夷大将軍・坂上田村麻呂によって蝦夷討伐は達成されます。

東北出身である私は数年前、高橋克彦氏による小説「火怨」と出会いました。物語の主人公は阿弖流為(アテルイ)です。
阿弖流為が蝦夷の一族のリーダーとして、朝廷軍と立ち向かっていく様子が生き生きとダイナミックに、弾圧に苦しみ人として葛藤する心情が繊細に、丁寧に描かれています。
その描写力は圧巻で、戦闘シーンは大河ドラマかと思われるほどリアルで興奮させられます。
蝦夷がどんな服を着て、どんな武器で戦ったのか知らないのに、ありありと目に浮かぶようなのです。
文学作品としての非常に評価も高く、蝦夷を語る上で必ずと言っていいほど話題に出ます。
蝦夷小説の最高峰と言えるでしょう。

この物語を読んでまもなく、たまたま訪れた京都・清水寺で私は、阿弖流為の碑を目にします。
「なぜここに!?」と、思わずにはいられないとともに、遠く離れた地で旧友と再開したような、不思議な温かい気持ちになったのでした。

実は清水寺、かの坂上田村麻呂ゆかりの寺だったのです。
坂上田村麻呂は蝦夷征服ののち、敵ながら見事な戦いぶりだった阿弖流為を重用しようとしますが公家に受け入れられず、阿弖流為は処刑されてしまいます。
その縁から1994年、有志の方の手によって石碑が清水寺に建てられました。

「火怨」の最後は悲劇的なクライマックスです。
でもこうして、中央政権の地・京都に彼らの石碑があるということに、東北出身の私は、なんだか救われた思いがしたのでした。

清水寺の阿弖流為の石碑。
よく見ると東北の地形が彫り込まれ、その中に阿弖流為と、共に戦った母禮(モレ)の名前が彫られています。(筆者撮影)

「俺たちはなにも望んでおらぬ。ただそなたらと同じ心を持つ者だと示したかっただけだ。蝦夷は獣にあらず。鬼でもない。子や親を愛し、花や風に喜ぶ・・・」

高橋克彦「火怨 北の燿星アテルイ」より


エボシ御前が庇護する包帯の人々・ハンセン病患者たち

さて、次の話題は、タタラ場に生きる包帯の人々についてです。
この包帯の人々がハンセン病患者だというのは、宮崎駿監督が後に明言されています。

出典:朝日新聞デジタル「宮崎駿さん語るもののけ姫とハンセン病」

ハンセン病とは、「らい菌」という細菌が引き起こす感染症で、主に末梢神経や皮膚が障害されるものです。これが時に皮膚の損傷や顔貌の変化もみられたことから、ハンセン病患者は昔、著しい差別がありました。

1931年に法律でハンセン病患者の強制隔離ができるようになり、ハンセン病患者は療養施設に隔離されるようになりました。
そして、「無癩県運動」という、都道府県ごとに患者を炙り出し徹底的に隔離する政策がとられたのです。それが「ハンセン病は恐ろしい伝染病である」というイメージを国民に刷り込ませました。
実際には、感染力は非常に弱いにもかかわらず。

家からハンセン病患者が出れば、家族と引き離されて徹底的に消毒され、それでも、その家族は村八分状態になることがあったようです。
そしてハンセン病患者は、隔離施設に入ったら一生家族に会えない、子供を作ることも許されなかったそうです。

戦後間も無く特効薬プロミンができ、もはやハンセン病は完治する時代へとなりました。
しかし、ハンセン病患者の強制隔離を定めた法律「らい予防法」が廃止されたのは1996年。ハンセン病によって差別されてきた患者を救済するための法律「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」が施行されたのは、2009年。本当に、つい最近のことなのです。

出典:「ハンセン病問題について」国立ハンセン病資料館

それでも、ハンセン病問題は終わっていない。
それがテーマの小説が、ドリアン助川氏による小説「あん」です。

この本についてあえて多くは語りません。
ぜひ読んでみてください。
一つ言えるのは、先のハンセン病問題が、少なからず関係しているということです。
次の一言を読んで非常に強い衝撃を受けたのを覚えています。

お前など生まれてこない方が良かったのだと彼女にささやき続けたのは・・・その先頭に立っていたのは・・・神なのだ。
一生苦しめてやると、神が言い切ったのだ。

ドリアン助川「あん」より

エボシ御前がタタラ場で庇護していたのは、そんなハンセン病患者たちです。エボシ御前は彼らの体を拭き、包帯を替え、さらには石火矢づくりという仕事を与えていました。

それが彼らにとっていかに人間としての尊厳を与えたか。
彼らにとっていかにエボシ御前が大切な存在であったか。

ハンセン病の歴史を理解すると、長(おさ)と呼ばれた包帯の男性のこの言葉がいかに深く、重いか身に沁みます。

「もののけ姫」のワンシーンより引用

生きることはまことに苦しくつらい・・・。
世を呪い、人を呪い、それでも生きたい・・・。

「もののけ姫」より

参考:以下のリンク


まとめ

映画「もののけ姫」が光を当てたのは、差別を受けていた者たちです。

蝦夷の血を引くアシタカといい、
タタラ場で生きるハンセン病患者といい。

そして、森で生きていくことを選んだサンも、
売られてきてエボシが引き取ったタタラ場の女たちも。

「もののけ姫」のキャッチコピーは、一言、「生きろ」です。

彼らが時代の不条理の中でも力強く生きる姿が、「もののけ姫」最大の魅力ではないかと思う、今日この頃です。


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