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いつか帰ってきてくれるよね

主人がある日突然事故で亡くなりました。その時のことを忘れないように残しておきたくて書きました。まだ幼かった息子がいつか読んでくれてこの日のことを知ってくれたらなあ、と思います。
取り止めもない長文ですが、読んでいただけたらうれしいです。

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その日、ぱぱは千葉から大型トラックに乗って四国に向かっていた。
めずらしく早めの時間、21時過ぎにぱぱから電話があった。
「もう少し走ったら、休憩するよ、晩ご飯食べるよ」そう言っていた。
いつもは時間が無く、自分の食べたい時にはなかなか食べられないことが多いから、ちょっと時間に余裕ができると電話の声も明るい。

千葉から四国に渡り、我が家のそばを通り越して翌朝、愛媛県で荷物を下ろすのだと言っていた。
早く荷物を下ろすことができれば愛媛から自宅まではそんなに遠くないので、愛する息子の顔を見に帰って来れる。
きっとそんなことも考えながら楽しくトラックを走らせていたに違いない。

ちょうどこの頃は、消費税が5%から8%に変わる前で4月になる前に荷物を全国あちこちに運ばなければならなかった。
本来の休みも昼にはもう出発しないと現地に間に合わないと言って、ぱぱは2月からほとんど休んでいなかった。

それでもがんばれていたのは、娘の大学入学、息子の小学校入学を楽しみにしていたからだろう。
卒業式は我慢するから入学式は仕事を休んで一緒に行くのだと張り切っていたその日は4月1日だった。

私は電話を切るといつものように、お風呂やごはんの片付け、洗濯などをやって息子を寝かしつけた。
明日はお姉ちゃんの大学の入学式だ。
お姉ちゃんのスーツもバッチリ!私のスーツもなんとか着れたので安心して眠った。
大変だった高校時代を乗り越えて、やっとこの日が来たのだとうれしかった。
娘の明るい未来を期待して、私も本当にうれしかった。

家中が眠りについている時間に突然の電話、びっくりして目が覚めた。
こんな時間に誰?と真っ暗な中もぞもぞと起きて電話に出た。
「もしもし、Mさんの奥さんですか?」
電話の相手はぱぱの会社の専務さんからだった。
「警察から電話があって、ご主人が事故を起こしました。頭を打って意識がないそうです。」

寝ぼけた頭で考えたけど、誰かに怪我をさせてないだろうか?ぱぱのことよりそっちが気になった。
高速のトンネルの中で、停車していた大型トラックに追突してしまったらしい。
私がいつも心配している、子供やお年寄りや弱い者を傷つけてはいなかったようでそれは良かったのだけれど、意識がないということはどういう状態だろう。
何を考えていたんだろうか?その時の私は何か理解できていたのだろうか。
何時だろうと時計を見ると2時過ぎだったように思う。

何をしないといけないのかな、と考えていたらまた電話が鳴った。
次はぱぱが搬送された病院からだった。
「ご主人は亡くなりました。お手数ですが、こちらまで来ていただけますか?」と言われた。「あ、そうなんだ、わかりましたー」って妙に聞き分けの良い私が現れた。

誰が私の感情のスイッチを切ってしまったのか、涙も出なければ悲しい気持ちも湧いてこない。
遠い親戚の不幸の話を聞いたくらいの感覚で、今からお通夜やお葬式大変だー、って思った後に思考は停止した。
ベッドの上に正座していた私、気付けばまた電話が鳴っている。次は警察からだった。
病院まで行かないといけない、でもベッドで安心して寝ている6歳の息子を連れて行くのか?

ぱぱが事故を起こしたのは、岡山県の高速のトンネルの中だった。
そこから倉敷市の病院に搬送されたので、私は香川から岡山まで行かないといけない。
救急車でこちらまで送ってくれるわけではないので、自力で病院に行ってぱぱを私の力で家に戻さなければならないことだけはわかっていた。

誰かに電話しよう、夜中だけど仕方ない。
最初に電話をかけたのは、いろんなことを考えた上、ぱぱの妹だった。
義妹は義母と同居だし、冷静に話を聞いてくれると思ったから。
でも義妹は携帯には出なかった。
そりゃ寝てるだろうし、音も消してるだろうし、想像はつく。
次は私の母にかけたけど出なかった。
そして、次から次へと身内に電話をかけていくうちに時間が経った。
思いつくまま一通りかけたところで、やっと義妹に繋がって事を説明した。
ところが義妹の後ろで話を聞いていた義母が「え?あのこが死んだん?え?なんでよ」と、義妹の後から聞こえる叫び声が胸を締め付けるようで今も耳から離れない。
母親にとってはいくつになっても息子には変わりなく、自分より先に死んでしまったなんて聞いたら、誰でも絶叫してしまうだろう。
今は私の方が悲しんでない人に見えるのは間違いなかった。

そして私が娘と私の弟と一緒に瀬戸大橋を渡り、ぱぱがいる岡山の病院に着いた時には、もう明け方近かった。
どうやって行ったかと言うと、母が葬儀屋さんに連絡をしてくれて、車を出してもらえたから。
着く間、生死がわからず祈るような気持ちで行くのと、死んでるのがわかって葬儀屋さんの車で迎えに行くのでは車内の空気も違う。
何を話せばいいのかもわからないし、言葉も出ない。
葬儀屋さんの車の中が珍しかったので、キョロキョロと見渡しながら現実逃避。
いや、まだ自分のことのように思えなかった。
窓の外は真っ暗でガラスに血の気のない私の顔が映るだけ。
今まで生きてきて、一番息が詰まる時間だったに違いない。

病院には先に到着した会社の社長さんと専務さんが目を真っ赤にして私達を待ってくれていた。
どう挨拶をしたかは忘れてしまったが、すぐに担当医に呼ばれて、状況の説明を聞いた。
高速のトンネルの中で追突事故を起こして、救急車やレスキューが到着した時にはもう息はなかっただろうと言われた。
車内に向かって呼びかけたけれど、一度も返事も声も聞こえなかったらしい。
車内に閉じ込められてしまったので、ドアなどを切って救出してもらったそうだ。
高速も通行止めにして、ぱぱの命を救おうと皆さんが頑張ってくれた。
本当にありがとうございました。

先生に「どうぞ」と言われたが、ぱぱとの対面は正直怖かった。
どんな姿であっても、私は確認しなければならない。
娘と二人緊張しながら主人の亡骸と対面したが、顔を少しケガをしていただけで眠っているようだった。
苦しそうな痛がったような表情ではなく、少し笑ったような優しい顔だった。
この時やっと涙がこぼれた。
でも娘も私と同じように泣きじゃくる訳でもなく涙を溢しながら放心状態だった。
この時から私達の心は凍りつき、時間も止まってしまって早6年の歳月が流れた。

帰る準備をしてくれるというので待っていたが、それはきっとボロボロになってしまった体をまた綺麗に繋ぎ合わせて元の形になる処置をしてくださっていて、それには約2時間くらいかかっていた。

その間、通夜や葬儀の打ち合わせをしたり、警察と話をしたり、他の人ならしなくてもいいかもしれないことが山ほど私の前に現れた。
そして、それに対しての回答は喪主である私が出さなければならない。
思考が停止しているのに、まともな答えが出るはずもなく、娘に頼ったり一般的なものでお願いしたり、ぱぱを送り出すのには申し訳ないくらい普通だった。

病院を車で出たらもうお昼を過ぎていて、信号を左に曲がった角の桜が美しかった。
今もその光景が脳裏に焼き付いている。
外の景色に触れると、深夜からのバタバタ劇は何かの間違いじゃないかと思えてしまう。
でもぱばは車の中で包帯でぐるぐる巻にされて私の横で眠っている。
やっぱりぱぱはもう生きてはいないのだと思った。
美しい桜、瀬戸大橋からの眺めを特別な気持ちで見つめながら葬儀会館に向かった。
本当ならば自宅に連れ帰り布団に寝かせてあげるのが当たり前なのだけれど、もう時間がなかったのでみんなが待つ葬儀会館へ向かった。

大阪から義母家族と離婚していた義父も既に到着して待ってくれていた。
ここからはかなりみんなの手助けがあり、少しずついろんなことを決めてもらえた。

私はまだ若いのに二人、男友達を病気で亡くしている。
どちらの葬儀も愛が溢れる、家族の仲の良さが伝わってくる装飾や演出で悲しみの中にも愛をしみじみと感じて泣けて仕方なかった。
私はそんなことしてあげられる余裕もなく、思い出しても後悔ばかりが残る葬儀だった。
だって、遺影を決めなければいけないけれど、そんなこと考えたこともないので、私の携帯に入っていた写真では決めることができなかった。
棺桶に一緒に持たせてあげたいものも、何も思いつかなかった。
今でも後悔ばかりで、謝るしかない。
最後のお見送りに愛情を一緒に持たせてあげられたのだろうか。

お通夜が終わった後も葬儀の途中でも、大きな男の人が何人も泣きじゃくっていた。
ぱぱは会社では好かれてたんだ、ホッとした。
私達の代わりにお友達がたくさん泣いてくださって心から感謝しています。

桜が満開の中葬儀も終わり、火葬場に着いた頃には雨が降り始めた。
お骨上げが終わって帰る頃には、満開の桜は桜吹雪となり、人間の修行を終えたぱぱを新しい世界な誘うような不思議な光景に見えた。
その時義父が「桜吹雪で見送ってくれるなんて、幸せな奴やのぉ」とつぶやいた。

それからもたくさんのことがあったけれど、それはまた別で残しておこうと思う。

命あるものは必ず死が訪れる。
早いか遅いかだけで、誰もその時を教えてはもらえない。
だから、毎日精一杯生きること。
やりたいこと全部できないだろうし、悔いも残る。
でも一生懸命に生きていれば、その悔いも笑顔で受け止められるのではないかなと思う。
私は、笑顔、精一杯生きること、を心に置いていつかぱぱにほめてもらえるように日々がんばります。

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