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小説家になりたいと思っていたのに

そういえば、小学生のときに担任の先生に「あなたは小説家になれるね」って言われた。

単純だけど、基本的に褒められることがない幼少期だったので、めちゃくちゃ嬉しく、すぐに将来の夢は「小説家」になった。

ある日、親に「お前より兄弟の方が小説家に向いている。兄弟は左利きだからな。左利きはアイディアがすごい」と言われた。
支離滅裂である。
それを私に言ってどうして欲しかったのだろう。
別に兄弟は小説家になりたいわけでもないし、正直言ってアイツが文章を書いているところなんて見たことがない。

今思えば、親の思い込みの甚だしさにげんなりするが、子どもは親のいうことが絶対だから、親の間違った思い込みが簡単にすりこまれてしまう。

そして書く時間よりも「勉強しろ。古典や名著を読め。進学校へ行け」と言われ続け、そのとき思い描いていた世界を原稿用紙に書くことはなかった。

「子どものうちは勉強して、大人になってから書け。公務員になれ。そうすれば、小説を書く時間がある」とすりこまれてしまい、書けなかったのだ。

しかし、コンクールがあるたびに、私は金賞やら佳作やらを取ってくる。

なおも小説家になりたいと思い、高校も日本唯一の「国語科」に進学(今は廃校になってしまった)

高校の担任の先生から「小説家になりたいなら、書いているのか」と問われるも、私の頭の中では「大人になってから書くんでしょ?」と思い込みが深く邪魔をしていた。

いわゆるマインドブロックだ。

しかし、授業ではありとあらゆるタイプの文章を書く機会が山ほどある。

校内の弁論大会ではグループ代表→クラス代表→学校代表と順当に選ばれ、某市のスピーチコンクールに出たこともある。

だが、小説は書けなかった。
書こうとするも「大人になってからね」が邪魔をする。

それでも文学や文字の世界は好きで、大学は文学部へ進学した。
文学部の中でも国文学を専攻したので、卒論は必須。
書いた論文が国文学界隈でも史学界隈でも有名な先生の目に止まり、素晴らしい評価をいただいた。
さらには学内の国文学会で他の教授に紛れて発表をすることになった。
院生でもない、学部生からの発表は非常に名誉なことだと自負している。

それでも小説は書けない。
まだ大人になっていない。

親の言うとおり公共団体へ就職するも、小説なんて書く暇は皆無だった。
親の時代と現代では仕事量もメンタル的な負担も大きく違っていたのだ。

やっぱり小説は書けない。
もう大人だけど、時間がない。

そこから紆余曲折あるも、mixiやフェイスブックで文章だけは書き続けていた。
自分の思いや考えをつらつらと書き連ねていたのだ。
小説ではない。
ジャンルにふりわけるなら、随筆やエッセイという類だろう。
もしくは物事の考察。
しかし、文章は書き続けている。

ここで私はそろそろ気づいた。

「もしかして:随筆 エッセイ」
「もしかして:雑学考察」

私の頭の中のグーグル先生が「書きたい小説検索してるけど、本当はエッセイでしょ?雑学考察したいんでしょ?」と検索結果をすり替えてくる。

きっと私は自分の頭の中に溢れる言葉を、世の中に放流したいために文章を書いているのだろう。

拙著「パワーストーンはかく語りき〜鉱物オタクが天然石と話してみたら、愛とスピリチュアルについて教えてもらった件〜」は、そんな私が「書きたい」と思ってまとめた処女作だ。
卒論以外はしっかりと一つの作品にまとめたことのない私が、ようやく書いたもの。

小説家とは名乗れなくても、Kindle作家とは名乗れるようになったはずだ。

ってわけで(?)2年ほど出す出す詐欺をしていたが、ようやく完成しました。
よかったらお手に取っていただけると嬉しいです。


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