知らないことが幸福だとしても、知って不幸になる道を選びたい。
東京は特殊な街だ。つくづくそう思う。
こんなに多様性にあふれる人々と出会える場所は他にはないのではないか。
一方で時々東京で暮らしていて消耗している自分に気づく時もある。
でも僕はそんな消耗している自分を自覚した上で東京暮らしを楽しんでいる。
大学入学とともに、東京に来て気づいたこと。
それは日本も格差社会であるということだ。
地元和歌山にいるときは同質なコミュニティで生まれ、育ったからあまり”格差”というものを実感することは少なかった。
東京に来てから いわゆる社会のヒエラルキーのトップと言われる人たち、またそうした環境で育った人達に数多く出会って来た。
時には育ちの良さの違いなどに引け目を感じることすらあった。
家柄や出自だけではなく、能力も田舎とは比べ物にならないくらい格差がある。
自分とは比較にならないくらい頭の良い人、多彩な人、東京にはごまんといて
和歌山にいた頃は、少しばかり自分は特別な人間なんじゃないかと思っていた
自分の自尊心は東京に来てあっという間に砕け散った。
僕は普通の人であることを知った。
大学生活4年間を振り返ると目まぐるしく自分の環境が変わり、世界が広がった。
和歌山の片田舎で19年育った僕が、 大都会東京で3年、スペインバルセロナに1年留学して
正直自分のキャパを超えるくらい色んな世界を知りすぎた。
自分が井の中の蛙であることを知り、何者でもないことを痛感した4年間だった。
時々、思ったことがあった。
和歌山の地元のマイルドヤンキーのようにクローズドな世界に生きて
大きな世界を知らずに楽しく遊んでいる方が幸せなのではないか。
僕は色んな世界を知ってただ消耗しているだけではないか。
**”Ignorance is bliss” ** イギリスの詩人であるトマス・グレイという人が残した格言で
日本語では、知らぬが仏 とも言われる言葉がある。
無知であることは実は幸福で、知りすぎることは愚かである。 という意味の諺だ。
ちょうど今日の朝、シェアハウスのイギリス人と俳優の三浦春馬さんが亡くなったことについて話していた時に、彼は完璧主義者で考えすぎていたんじゃないかという話になり、
“Ignorance is bilss”という言葉をイギリス人が言っていた。
この言葉は今、東京で消耗している自分に当てはまるのではないか。
そう率直に感じた。
色んな世界を知りすぎたがゆえに自分の無力感を感じ、自分を高めるために日々東京で消耗している。
ある意味愚かな人生かもしれない。
だが僕は知ることで愚かになる道をあえて選択している。
そしてこれからも当分は東京で消耗していたい。
何者にもなれなくていい。
僕は自分に刺激を与えてくれる人ともっと東京で出会いたいし、もっと色んな世界を見たい。
色々と知るうちに虚しさや悲しさを感じる瞬間もあるだろう。
それも織り込み済だ。
知らずに幸福になるよりも知って愚かになる人生の方が面白いと思うからだ。
最後に棺桶に入る時、どうしたら自分が自分の人生に満足するか、 を考えたときに、どれだけいろんなことにチャレンジをしたか だと信じている。
決してマイルドヤンキー達の生き方を否定しているわけではなく、
僕は東京で消耗する日々の方がワクワクするということだ。
今日1日も消耗した。
消耗した後のお酒と入浴剤は僕を包み込んでくれる。
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