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没後80年記念 竹内栖鳳:3 /山種美術館

承前

 柿の実の軸のお隣に、干し柿の軸を配置する。
 こういった心にくい展示上のひと工夫は、はす向かいの展示ケースでもみられた。
 《城外風薫》は、水の都といわれる中国江蘇省の古都・蘇州を描いたもの。遠くに塔の見える風景にあこがれて、栖鳳は2度ほど大陸の土を踏んでいる。
 なかでも、街じゅうを水路がめぐり、石組みの橋を小舟がくぐる「東洋のヴェネツィア」蘇州の情景に、栖鳳は打たれたのであった。
 暮らしの中に川がある――水の都の湿潤な空気が、水分をたっぷりと含ませた淡彩の筆でよく表されている。
 そのお隣には、やはり同じような寸法・体裁の軸が掛かっていた。作品名を《潮来小暑》という。同様に湿潤な空気が描きとめられており、これも中国の絵なのかなと思いきや……茨城の絵であった。
 作品名の《潮来小暑》は、先ほどからの流れでつい「ちょうらいしょうしょ」と音読みしまいそうだが、正しくは「いたこしょうしょ」なのだ。

 大陸から戻った栖鳳は、日本の北関東に中国に似た情緒ある水辺の風景を発見した。それが、水郷といわれる潮来の地だった。いわく「支那画情緒そっくり」だったというのである。
 栖鳳はよほど潮来に入れこんだらしく、本展にも潮来を描いた作が複数出ていた。
 なかでも雨の水郷を描いた《雨中山水》は、水墨のみで深遠な画趣を描き得ており、余情がすばらしい。

 こんな絵を観ていると、潮来に行ってみたくなるものである。少なくとも、中国よりはずっと行きやすいではないか。
 このような風情が今も健在かどうかは、確証がないけれど……

 栖鳳作品に続いて、京都画壇の先輩格や同世代の作家、栖鳳の弟子・後輩たちの作を数点ずつ展示。村上華岳《裸婦図》(重文)も出ていた。各作家に関する栖鳳自身による回想・人物評の文章も併せて紹介されていて、親しみを覚えた。
 みな、ことごとくビッグネームである。彼らを脇役に押し退けてしまうくらい、京都の日本画における栖鳳の存在は大きいのだ。
 栖鳳展だからこのような配分になっているというよりかは、そのまま京都画壇の縮図を示しているような構成であった。屈指の日本画専門館ならではであり、面目躍如といえよう。

 栖鳳を中心に据えて、京都の日本画を総まくりする本展。
 会場はコンパクトながら、通常の回顧展よりもさらに広範なスケール感をいだかせる展示であった。

 ※今年は栖鳳の没後80年。島根・安来の足立美術館でも栖鳳展が開催中。会期も、栖鳳と彼に連なる京都の作家を並べた構成もほぼ同じ


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