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麻生三郎展 三軒茶屋の頃、そしてベン・シャーン:2 /世田谷美術館

承前

 この展示を訪れようと思ったのは、《三軒茶屋》というデッサンに惹かれたからであった。

 誰しも思うことであろうが——まるで、子どもの楽書きだ。
 お日さまが照って、地面には建物や木らしきものがあって、あとは……いったい、なんだろうか?
 丸いものが太陽、下が地面でよいのなら、そのほかは空ということになる。空に浮かぶのは雲か鳥か、飛行機くらいであろうが、それらしいものは見当たらないようだ。
 主に横方向にそよぐ鉛筆の線と、縦方向に規則性なく速く引かれる色鉛筆の点・線が交錯して、息つく暇を与えない。とくに赤は、テストでペケをつけるように筆圧が強く、目立つ。 
  「花火大会の絵です」といわれれば、満足してしまいそうだが……そういうわけでもないらしい。
 この種の描写は、ほかのデッサンにも頻出する。

 これまた、ふしぎなデッサンである。
 同じ《三軒茶屋》というタイトルで、インクとペンで描かれている。鉛筆に比べて、肥瘦や強弱が抑制された線だ。
 中央に道がとおり、両側に家々が並んでいるのがわかる。人もいる。
 時計回りにゆっくり旋回していきそうな、歪んだ空間。そこに飛散する無数の点、円形……
 ふしぎだが、惹かれる。線を追いたくなる。

 三軒茶屋のほか、三軒茶屋と美術館のおおよそ中間にある馬事公苑や、少し離れた隅田川沿いや月島まで出かけて描かれた風景デッサンもあった。
 どれも、実景と思われるモチーフに加えて、「では、これはなんだろうか?」と問いたくなるなにかが、描きこまれている。
 麻生の目には、確かにその「なにか」が見えていたのだろう。
 それは実際上はおそらく光であったり、温度や湿度であるのだろうが……じつのところは、なんだっていい。ふしぎはふしぎのままでいいのだ。よい絵ならば、それだけで。

 —―展覧会タイトルにもあるように、本展は2部構成。麻生の三軒茶屋からの転居を見届けたのちに、「そしてベン・シャーン」となる。
 昭和45年、東京国立近代美術館で開催されたベン・シャーン展に感銘を受けた麻生は、出品作のひとつを入手した。これを皮切りに、ベン・シャーンの作品を続々と購入。コレクションは神奈川県立近代美術館に寄贈されている。
 麻生が三軒茶屋から川崎の生田へ引っ越したのはベン・シャーン展の翌年であるから、正確には多くが生田時代に収集・愛好されたものではあろう。
 ただし、ベン・シャーンという作家に親しみ、影響を受ける機会はそれ以前にもあったであろうし、なにより、社会をとりまく問題にまっすぐに相対する抗議の作家像に、とても通じるものがある。とくに三軒茶屋時代の麻生は、そのような側面をもつ作家でもあった。
 麻生旧蔵のベン・シャーンの版画集『一行の詩のためには...:リルケ「マルテの手記」より』を観ていると、シンプルなモチーフの描出ぶりは、麻生が本や雑誌に寄せた絵に非常に近い雰囲気があった。タブローとは異なり、装幀や挿絵の原画にはシンプルなものが多い。

 画家が好んで集めた他作家の絵には、やはりどこかしら、みずからが描く絵に共通する要素があるものだ。
 麻生の旧蔵品には、ベン・シャーン以外にも、大津絵などさまざまな作があるとのこと。それらを含めて掘り下げ、麻生みずからのまとまった数の作と比較するような展示企画も、観てみたい。
 そんなことを思いながら、会場を後にした。


 ※麻生は三軒茶屋時代に文芸作品に絵を提供する機会が増えた。きっかけとなったのが野間宏『真空地帯』、名編集者・坂本一亀からの依頼だった。坂本龍一さんのご尊父である。訪問当日のNHK「日曜美術館」は、坂本龍一さんだった……


美術館から用賀駅への帰途、紫陽花を観る



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