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魅惑の朝鮮陶磁 /根津美術館

 “朝鮮半島のやきもの” と聞いて、思い浮かべる作品は、人それぞれに違うと思う。
 素朴な李朝、品格の高麗青磁、井戸茶碗のような茶の湯の茶碗。李朝にも技法はたくさんあるし、素朴ばかりでもない。高麗には他に白磁があり、茶碗のバリエーションはいわずもがな……
 こういった多種多様な朝鮮陶磁を、館蔵品を中心に通覧する展覧会である。

 根津美術館は、茶の湯を愛好した近代数寄者・根津嘉一郎による美術館であり、高麗茶碗の充実ぶりはすさまじい。毎回の展示においても、2階のお茶席がある展示室で常になにかしらの高麗茶碗が出ている。
 いっぽうで、茶の湯のうつわではない朝鮮のやきものは、高麗青磁の大名品《青磁蓮華唐草文浄瓶》(高麗時代・12世紀  重文)ほか、点数としては多くなく、根津コレクションでは手薄な分野といえた。

 この空隙を埋めたのが、秋山コレクションである。「サラリーマン・コレクター」秋山順一がこつこつ蒐めた高麗・李朝陶磁の佳品を、根津美術館は1975年に受贈している。本展の高麗・李朝パートは、ほとんどが秋山コレクションからの出品であった。
 茶道具・絵画中心のふだんの展示では、なかなか出番に恵まれない秋山コレクションの朝鮮陶磁が、久々にまとめて拝見できる。年間スケジュールが明らかになってから、わたしは本展の開催をずっと楽しみにしてきたのだった。

 根津コレクション、秋山コレクションをもってしてもまだ足りなかったのが、古代の陶質土器。日本の須恵器の、直系の先輩である。
 最初に並んでいた3点すべてが個人蔵で、高麗の陶質土器1点を合わせた4点のみが館外からの借用品だった。

 高麗陶磁の白眉は、なんといっても《青磁蓮華唐草文浄瓶》。その端正なかたち、細緻な彫り、麗しい釉の流れ・溜まり、釉調。どれをとってもすばらしく、うっとりしてしまう。360度から、しばし眺めた。


 秋山コレクションから、高麗の白磁。

 秋山コレクションには、飄然として、どこかとぼけた風がある作や、可憐な文様の施された作が目立つ。味のいい酒器の逸品が多数含まれていることも特色のひとつだ。
 この徳利などは、頸が少し傾いでおり、下ぶくれの姿形は悠然としたカーブをみせ、象嵌の文様はちょこんと控えめ。よく使いこまれてもいる。旧蔵者の好みを、象徴的に示す作品だなと感じる。

 李朝の《粉青沙器牡丹文扁壺》(朝鮮時代・15世紀)。線刻と掻き落としによって表された牡丹の、みごとなことといったら……それでも、完璧主義とも違って、土のあたたかみ、やわらかさがすべての基盤をなし、また包んでもいる。
 《粉青印花小花文合子》(朝鮮時代・15世紀)に関しては、細かすぎる高度な装飾と、丸く穏やかなフォルムとのギャップがおもしろい。

 このように、技巧はハイレベルではあっても、冷たくはない、どこかにぬくもりを感じさせる作が、秋山コレクションにはとくに多いと思う。

  「秋草手」の《青花草花文壺》(広州官窯  朝鮮時代・18世紀)もまさに、そういったものだ。この作品が、観たかった……

 淡く鈍い呉須を用いて描かれた、楚々とした草花の線。素地は、光源を布で覆ったような柔和な白。おおらかで、ゆったりとしたフォルム。
 見どころが多すぎて、深すぎて、この壺の前に立っていると、時間を忘れてしまうのであった。

 このあとに出ていた、茶の湯の名碗の数々も眼福、眼福……


 ——これら、朝鮮半島で焼かれた多様なやきものを引っくるめて、なにかひとことで言い表そうというのは、なかなかに難儀なことだ。
 しかし「魅惑の朝鮮陶磁」とは、よい落しどころではないか。変幻自在に魅せて、惑わす。まさに魅惑だなと、展示室を出る頃に実感していたからである。
 会期は残りわずか。この機会に、魅惑の世界に飛び込んでみては。

根津美術館の庭園にいる、魅惑の朝鮮ヒツジ


 ※続く小部屋では、特別企画「謎解き奥高麗茶碗」を開催。紛らわしい名だが、奥高麗は古唐津の一種。定義があいまいで詳しい産地は不詳、かつたいへん稀少な奥高麗を一堂に集め、謎解きを試みるという、空前絶後の企画。必見。



 ※秋山コレクションには他に日本・中国陶磁と、良寛の書などが含まれる。


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