見出し画像

走泥社再考 前衛陶芸が生まれた時代:2 /菊池寛実記念 智美術館

承前

 走泥社、ひいては前衛陶芸のアイコンともいえる、八木一夫 《ザムザ氏の散歩》(1954年)。

 陶磁史の教科書にはかならず掲載される本作は、令和4年度、他の八木作品49点とともに京都国立近代美術館の所蔵となった。本展の巡回は昨年夏に京近美でスタートしており、このときが同館の所蔵品としてのお披露目となった。

 東京でも、前後期にわたって出品。
 京近美に比べて展示面積が少ない菊池寛実記念 智美術館では、全3章のうち1、2章を前期、3章を後期に充てるという変則的な構成をとるなか、《ザムザ氏の散歩》をはじめ数点は通期で展示。「アイコン」としてやはり不可欠であり、この作品を観に来る人も多いからだろう。

 ※通期展示ではあるが、展示される位置は異なっていた。こういった点も変則的。

 後期に出品の《白い箱 OPEN OPEN》(1971年)は、同じ八木一夫の作。

八木一夫《白い箱 OPEN OPEN》
(1971年  京都国立近代美術館)

 刷毛でざっくり白化粧された、直方体に近い四角い箱。むらのある塗りようは、裏路地のボロ壁にも、李朝の刷毛目にもみえてくる。
 その上面が、わずかばかり開いている。缶詰の開けはじめに近い状態のまま、時は止められた。
 開けたい。指でつまんで剥がし、中身を確かめたい——誰もがそう思うだろう。

(開けたい)

 作者もまた、その行為を後押しする。すき間のすぐ下に、何度も執拗に、落書きのように記された「OPEN OPEN OPEN OPEN」……ご丁寧に、矢印(↑)まで。
 むろん、こじ開けるなんて、じっさいにはできない。粘土の段階ならまだしも、すでに高火度焼成され、硬く焼き締まっているからだ。
 開けろって言われても……そのように、鑑賞者の胸中をざわつかせることにこそ、八木のねらいはあるのだろう。
 それは、同年に制作された《頁1》にも共通する。ページをめくりたい。けれど、めくれない……永遠に。

八木一夫《頁1》
(1971年  岐阜県現代陶芸美術館)
(めくりたい)


 ——これなどは、オブジェ陶としてはまだ序の口。さらに度肝を抜く造形や、もうなにがなんだかという造形のオンパレードであった。そうなると、言葉では足りない。少なくとも筆者の語彙力では、残念ながら手に余ってしまう。
 なかでも頻出していた、小さな球が密集していたり、イガイガやボコボコが無数につけられていたりする作品などは、かなり人を選びそう。「ちょっと、受けつけないわ」という声が出そうではあった(わたしも、どちらかといえばそっち派)。
 だが、こういったオブジェ陶を観ていると、土という素材の可能性を、轆轤というひとつの手段や、「うつわ」という特定の形状の内側のみに押し留めてしまってきたことのほうが、かならずしも健全ではなかったのかもしれない……といった思いに至るのであった。
 土は、もっと自由でいい。そういう道も、ある。

 ありそうでなかった走泥社の回顧展は、このたび達成された。
 今度は横軸に視野を広げて、走泥社と同時代の前衛美術の動向、たとえば具体美術協会や前衛書、前衛いけばなあたりを、オブジェ陶とともに取り上げてみるのはどうだろうか。同時代性・時代の空気といったものに触れられそうで、ぜひ観てみたいなと思っている。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?