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奇跡の渡辺清絵日記:4 /さくら市ミュージアム-荒井寛方記念館-

承前

(3)農耕、その他の描写
 清は専業農家であり、一日の多くの時間を農作業に割いていた。したがって絵日記の記述は農作業が中心となり、これに家庭や地域社会のなかで起こるさまざまな出来事・年中行事が加わる。
 農作業に従事する人々の図は、例によってぎこちない描写となってはいるが、当時の農業の実際が手にとるように、いきいきと伝わってくる。
 渡辺家の年中行事に関しては、絵日記の初期(明治の末)と終盤(対象の末)とを比べると、すでに簡略化の進行がみられるという。こういった傾向は、なにも戦後だとか近年になってからの話とはかぎらないのだ。たいへん興味深い。
 日常生活の合間には、時代性がうかがえるイレギュラーな内容もときおり入ってくる。飛行機の見物、疫病対策の消毒・清掃活動、種痘の接種、陸軍大演習の見学などがこれにあたる。物珍しいトピックとあって、清の筆にも心なしか力が入っている。
 非日常の出来事としては、遠方の寺社への参拝旅行も挙げられよう。旅日記のなかには1ページを6分割や8分割にコマ割りし、絵と文字をみっしりと詰めたものもあって、興奮のほどが伝わってくる。
 明治から大正に元号が変わったちょうどその日——1902年7月30日、清たちは大山詣(おおやまもうで)の真っ最中であった。
 人力車8台の大所帯。『東海道中膝栗毛』よろしく物見遊山を兼ねた気楽な旅であるが、江戸より続く信仰の一様態がよく表れていておもしろい。
 翌31日には、大山の山頂に登拝。そのまま息もつかせず、なんと同日に富士山に登りはじめ、翌8月1日には登頂を果たしている。すさまじい体力、バイタリティだ。
 わたしがとくに腰を据えて読んでみたいと思うのは、この種の旅の記録である。他にもお伊勢参りや、日光男体山へ登拝時の絵日記もあるという。

 ——このように《渡辺清絵日記》は、歴史・民俗を知るための史資料として、たいへん貴重なものとなっている。展覧会名の「奇跡」は、伊達ではない。その一端がお伝えできたならば、これ幸いである。

 最新の研究成果が記された、今回の図録がこちら。A4判104ページで体裁としては図録に近いが、カラーは口絵のみで、テキストが中心。

 また『氏家町史  史料編  渡辺清絵日記』(2011年)や、古いところでは明治40年分のみを翻刻した『百姓絵日記―明治の農業風俗』(日本経済評論社  1983年)もある。
 ご興味のある方は、このあたりもどうぞ。


氏家駅ホームにある、煉瓦造の小屋。古いものだろう。


 ※神奈川県立歴史博物館ではじまる特別陳列「松平造酒助江戸在勤日記-武士の絵日記-」では、幕末の武士「みきのすけ」による絵日記が公開される。こちらは戯画的で、こなれた感がある筆致だ。必見。


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