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奇跡の渡辺清絵日記:1 /さくら市ミュージアム-荒井寛方記念館-

 先日は、那珂川町馬頭広重美術館「浮世絵でわかる!忠臣蔵展」について、3回に分けてお送りした。

 馬頭広重美術館は栃木県北東部の盆地上にあり、東京から公共交通機関で向かおうとすれば、宇都宮駅の3駅先・氏家駅から1時間ほどバスに揺られることになる。
 今回取り上げる「奇跡の渡辺清絵日記」展の存在を知ったのは、馬頭広重美術館で他館のリーフレットを物色しているときだった。
 会場は、先ほどの氏家駅から徒歩26分の「さくら市ミュージアム-荒井寛方記念館-」。その日はもう時間に余裕がなかったし、閉幕する翌日は都合が合わない。興味はあるけれど、しゃあないな。図録が出ていたら、取り寄せてみるか……
 電車の中で検索をかけてみると、本展の図録がAmazonで購入可能とわかった。現金書留は面倒だなと思っていたところ、都合よく購入のハードルが下がって、ポチリ。

 というわけで、今回はめずらしく、展覧会を実見したうえでのレビューではない。厳密には本のレビューとなる。

 さて、肝心の「渡辺清」とは、いったい何者か。
 リーフレットの入ったラックからは展覧会名しか見えなかったので、当初はてっきり、幕末に名古屋で活動した復古やまと絵の絵師「渡辺清」のことだと思いこんでいた。そんなおもしろい資料が残っていたのか、と。
 リーフレットを上まで引っぱり出してみて、別の意味で驚いた。
 絵日記の絵が、あまりにゆるゆるだったからである。清冽で瀟洒なこなれた筆致ばかりを想定していたものだから、一瞬、なにが起こったのかわからなかった。
 ここでいう「渡辺清」は、同姓同名の別人。現在の栃木県さくら市内に住していた、明治生まれの農業従事者である。つまり、画の道に専心した職業画家とは異なる、一介の市井の人物による筆だったのだ。

 幕末の名古屋にいた「渡辺清」の絵日記なるものは管見の限りではないが、明治・大正の栃木にいた「渡辺清」の絵日記も、資料としてのおもしろさは負けず劣らず。たいへん貴重なものであろうことが、説明文からは理解できた。
 渡辺清の日記群は、明治35年(1905)から大正13年(1924)まで断続的に描き綴られた。35冊が現存し、一括してさくら市の指定文化財となっている。
 清の年齢に直すと、満10歳から32歳までの日記ということになる。学業を終えた少年は家業を継ぎ、やがて嫁をとり、子をなし、ライフステージを着実に駆け上がって、たくましい青年となっていく。
 とはいっても、世にあふれる立身出世の成功譚とは異なり、日々の農作業、年中行事、家事、家族の話題といった、とりとめのない日常生活のひとコマが記述の中心となっている。
 その特性上、特段の記録がなされることなく埋もれていったり、消えていったりしがちな類の情報が、清の絵日記には事細かに記されているのだ。歴史学・民俗学的に重要といえる所以である。
 
 そしてやっぱり、わたしとしては……なんといっても、あの「ゆるい」絵が、この絵日記の魅力を大きなものにしていると思われた。
 味のある、素朴な絵なのだ。巧みさはなくとも、自分の目で見たものを、自分の手と筆で絵にすることじたいへのささやかな喜びと楽しみが、清の絵からはよく伝わってくる気がする。
 こればっかりは、じっさいに絵を観ていただく以上にないだろう。
 下記リンクのページに掲載された絵日記の一部を、とくとご覧あれ。(つづく



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