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奇跡の渡辺清絵日記:3 /さくら市ミュージアム-荒井寛方記念館-

承前

 《渡辺清絵日記》の全貌には、残念ながら触れられていない。それゆえ、あくまで図録から知りうる範囲にとどまるが、わたしが魅かれたポイントをいくつかご紹介するとしたい。

(1)人物描写
 17歳時の自画像(リーフレットの表・左上)は、戯画的なアレンジがほとんどみられない、朴訥とした筆である。
 この13年後・30歳時の自画像は本図と同じポーズで、明らかに意識をして描かれている。青年・渡辺清の頬はこけ、頭は丸刈り。すっかり、精悍な農業者の顔だ。
 この絵や、その下の馬に乗る図からうかがえるように、人物や動物の絵は……なんというか、非常にぎこちない。とくに、寄り気味で動きのある画面ではその傾向が顕著だが、同時にほほえましくもあって、この絵日記をいっそう魅力的なものにしている。

 ※こちらのページに、図版が多数掲載された配布資料のスキャンデータがある

(2)風景描写
 清の本領は、むしろ風景描写のほうにあったのではと思う。簡略ながら雅味のある筆致をみせていて、俳画ふうともいえよう。月下の稲刈りの図など、なかなか抒情的ではないか(リーフレット裏・中央右)。
 本人にも自覚があったらしいことが、以下の記述からうかがえる。

勝手のはめ板に新らしく紙母にはりて貰ひ、得意の山水を画きぬ、而も雪舟や何やの本を参考になぞ見たり、中々よく賑わして書いて見た

(1914年7月8日。太字は引用時につけたもの)

 この一文とともに、坐して壁面に筆を走らせる清の後ろ姿が描かれる。かたわらには「我が大作」の4字。かなりの大画面であり、たしかにこれは一世一代の「大作」といえよう。
 「雪舟を参考にした」という点も見逃せない。雪舟は、濃墨でくっきりと輪郭をとる。水墨で最も巧拙が表れやすいのは「にじみ」や「ぼかし」であろうが、雪舟の線質は素人でも真似っこをしやすい。
 どうしてそんなことをいうのかというと、わたしにもかつて、雪舟の真似事をして水墨画を描いた時期があったからである。なんだか自分にもできそうな気がするし、じっさいにそれなりに真似られてしまう(ような気になれる)のが、雪舟なのである。
 清のお母さまはきっと、一人息子に思う存分すきな絵を描いてほしいと考えて板戸に障子紙をわざわざ張ってやり、「ほら清、ここに描いてみ!」と託したのであろう。それを受けた清のテンションの上がりようも、絵と文の両方からよく伝わってくる。
 「中々よく賑わして」描いたというから、画面の余白は少なめで密度は高め、またモチーフは多めだったと思われる。どんな出来栄えだったのか、観てみたいものだ。(つづく




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