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日本の風景を描く ―歌川広重から田渕俊夫まで―:1 /山種美術館

 「日本の風景」という広い括りでテーマ設定がなされた本展。
 広げた網が大きいぶん、さまざまな獲物が引っ掛かり、多彩な展示内容となっていた。全体の構成にも注意を払いつつ、気になった作品を振り返っていきたい。

 展示は、おおむね時代順となっていた。
 まず近世絵画からは、酒井抱一、池大雅、谷文晁、山本梅逸、日根対山、歌川広重が登場。
 抱一《宇津の山図》は『伊勢物語』に取材し、文晁、梅逸、対山といった文人画勢の作は、中国ふうの理想的な風景を描きだしている。
 風景そのものというよりは、風景を描くことによって、作中や胸中の抽象的なものを描きだそうとする点に主眼があるといえよう。

 たとえば「宇津の山」は駿河国に実在するが、《宇津の山図》で抱一が描こうとしたのは、単なる山の風景ではない。これは人物が描かれない「留守」の状態だったとしても、同様であろう。宇津の山は、歌枕としてのイメージが確立されているからである。
 梅逸《桃花源図》は「日本の風景を描く」絵ではないものの、日本人が現地の実景を(多くは)知らないまま受け継ぎ、熟成させてきたイメージの具現化とはいえよう。あるいはラーメンと同じく「もはや、これも日本」と広く考えれば、「日本の風景を描く」絵といえるのかもしれない。
 心に凪が訪れる、素敵な絵である。

 同じ文人画家による作でも、大雅《東山図》は京都・東山の実景を写した「真景図」。

 本作において大雅は、写生的な態度で対象をよくよく観察すると同時に、無味乾燥とは一線を画す、一幅の絵としての魅力を併存させることに成功している。
 おそらく、地形の特徴は、かなり正確に捉えられているのではないか。そのいっぽうで、押さえずともよいところは大胆に省略もしている。
 こういった緩急が、本作を、絵図や写真とは異なる「絵」たらしめているのであろう。ほれぼれする線描だ。

 広重の《東海道五拾三次》もまた実景を写したものではあるが、真景図ほど写実や記録への拘泥はみられず、逆に、土地にまつわる型や文脈にはある程度則って描いている。いわゆる「名所絵」に類する。

 ——イメージのなかの風景を絵にすることと、実在する風景を絵にすること。両者のあいだには一見、大きな隔たりがあるように思われる。
 しかしながら、後者に属する名所絵や真景図の前提となるのは、既知の具体的な場所が描かれることだ。古来よりの歌枕の地だとか、なにかしらの確たる由緒が動機や理由づけとなって、その場所が描かれる。
 「そこらへんで見かけた、なにげない無名の風景」が描かれるようになるのは、近代になってからの話であった。(つづく

どこにでもありそうな、無名の風景。江戸の人なら、描かなかった(清瀬市にて撮影)



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