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私たちは何者?ボーダレス・ドールズ /渋谷区立松濤美術館

 近現代の作例を中心に、人物を対象とした立体造形を集めた展覧会である。
 以下のようなものが、同じ会場内に林立していた。

(1)美術品として扱われる「彫刻」
(2)その枠からはずれた「人形」
(3)どちらともいいがたい像

    ただし、(1)として真っ先に思い浮かぶパブリック・アートの「銅像」や、信仰の対象となる仏像・神像の類は、本展には出品されていなかった。
 それならば、具体的にどんな作品が出ていたのか……展示順に列挙してみたい。

・平安時代の呪術的な形代(かたしろ)
・江戸時代のお雛様
・人形師に師事した彫刻家・竹内久一や平櫛田中による、人形っぽい作品
・平田郷陽、鹿児島寿蔵、堀柳女といった、人間国宝の人形作家による作品
・竹久夢二や中原淳一によるぬいぐるみ
・リカちゃん人形
・リアルな生人形(いきにんぎょう)
・四谷シモンの球体関節人形
・マネキン
・フィギュアをもとにした村上隆の作品
・場末の観光地の秘宝館にあった裸像

 これらが、はたして(1)~(3)のどれに当てはまるか。
 (1)と(2)の両方に該当しそうなものもあるが、このあたりの問題提起こそが、本展「私たちは何者?ボーダレス・ドールズ」のキモである。

  「これは彫刻? 芸術?」「では、こちらは?」……と、来場者は絶えず、畳みかけるように問いを投げかけられる。
 結論を出すのは、むろん容易ではない。
 タイトルに「ボーダレス」とあるように、本展においても最後まで明確な線引きはなされないまま、検討材料がこれでもかと提示されていく。
 それでも、章を追うごとに混沌の度合いを強めていくなかにあって、鑑賞者としてはなにかしら、いちおうの答えを持って帰りたいところではあろう。

 わたしが思ったのは、「人」の「形」をした造形物には、彼我の世界をつなぐ、きわめて強い役目があるのでは……といったことだった。
 人間の形、すなわち自分たちと同じような姿でもって造形化されることで、遠くおぼろげだった存在が、一気に身近で具体的なものとなる。
 わかりやすいのは、神や仏であろう。
 神や仏が、われわれと同じ姿をして、われわれと同じ空間に入ってくる。そのことによって、あちらとこちらとを隔てていた境目は、みごとに取っ払われるのである。

 その造形がリアルであればあるほど、ボーダレス化は強まるはずだ。
 松本喜三郎の生人形《素戔嗚尊》(明治8年〈1875〉  桐生市本町四丁目自治会)。群馬・桐生で開かれる祇園社の祭礼で、高さ9メートルにも及ぶ山車に乗って町を練り歩く神像である。

 手の甲には青筋が浮き立ち、指の先まで力がこもっている。まさに「生きているように」リアルな造形。明治の人びとは、神様がほんとうに目の前に現れたように感じたことだろう。

 同じく生人形の吉村利三郎・作《松江の処刑》(昭和6年〈1931〉頃 愛媛・三津浜地区まちづくり協議会)。
 この地域に伝わる逸話を立体造形化した群像で、エピソードを劇的に、かつ視覚的に理解しやすく伝える見世物・ジオラマ的な側面と、供養のための祭礼にも用いられた礼拝対象としての側面を併せ持つ、稀有な作例である。

 きわめて迫真的な造形がなされることで、過去を生きた伝説的な人物が、現実の生身の人間として眼前に立ち現れる。松江という女性が、より切実な存在となるのである。
 
 これらはいささか極端な例といえるが、神や仏、また伝説・物語の登場人物は、人の姿を借りた立体としてあらわされるからこそ、ある種のリアリティを獲得するといった面はたしかにあるのではと思う。
 詳しくない分野だが、本展の最後のほうに出ていたキャラクターのフィギュアなどにも、そういった側面があるのだろう。同じキャラクターであっても、印刷物や画面のなかとフィギュアとでは、実存感がまるで違うはずだ。
 そう考えると、「拝み奉る存在」と即認識してしまう神像や仏像も、じつはかなり「身近な存在」といえるものだったのかもしれない。
 そのことは、近江・湖北の観音さんなど、ある集落で何百年ものあいだ守り継がれてきたほとけさんのありようを思い返すと、よくうなづける。祈り、語りかけ、なで、さすり、すがる。そんな、とても近い存在……
 それが近代になって、「美術」概念の成立や文化財保護の考えの浸透により、「人」の「形」をしたものと、人との距離が開いていった。仏像でいえば、相対して、距離をとって拝見すべき存在と化していく……そんな現象が、起こったのではないか?
 
 ——このようなことを考えてしまうくらいだから、どちらかといえば前近代、本展の全体からすればごく一部に、わたしの関心の中心はあったことになる。
 非常に偏った感想で恐縮だが、ほかにもさまざまな切り口で、考察を繰り広げていける展示かと思う。

 近く(といえば近く)の日本民藝館では、同じく人物を対象とした立体造形を集めた展覧会「聖像・仏像・彫像 柳宗悦が見た「彫刻」」が開催中。奇しくも、互いに補助線の役割を果たしそうな、相互補完的なテーマとなっている。
 組み合わせて訪れると、実り多いのではと思った。



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