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瞳に映るファンファーレ 浜口陽三の銅版画と川瀬巴水をはじめとした新版画:1 /ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション

 キリン、ヒゲタ、カゴメ、大関、ヤマサ……東京メトロの茅場町駅から水天宮前駅のあいだには、これだけの食品メーカーがある。日本橋が物流の拠点であった頃の名残であろう。
 この日に訪れたのは、ヤマサ醤油の美術館。館名に冠された浜口陽三は銅版画家で、「カラーメゾチント」という技法を用いた作品で世界的に知られる。暗闇にさくらんぼの実がひとつ、ふたつと配された小画面の版画に、見覚えのある方は多いと思う。

 陽三は、ヤマサ醤油の創業家に10代目社長の三男として生まれた。ヤマサ醤油が自社ビルに展示スペースをもつのはそのためで、陽三や同じく銅版画家の妻・南桂子の作品が常時公開されている。
 ヤマサの11代目は、長兄が継いだ。百五銀行の頭取だった川喜田半泥子のような人物とは違って、陽三は家業との二足の草鞋ではなかった。
 三男のボンボンだからこそ気ままに美術の道を歩めた面はあったのだろうが、作品から伝わってくるのはひたすらに寡黙で、ストイックで、厳しい制作姿勢。ディレッタントの軽やかさは、わずかにその、浮遊するような詩的なモチーフの配置にうかがえるくらいだろうか。
 こういった感想をいだくに至ったのは、作品をよくよく観察する機会に恵まれたからこそ。陽三の作品じたいが陰影、コントラストを基調とした微妙な加減のものであり、それに合わせて館内の照明は抑制され、版画を鑑賞するに適した加減とされていたのだ。
 さらに、展示室の冒頭にはこんな注意書きが掲示されていた。

作品にできるだけ近づいてご覧ください

 これには驚いた。
 逆はともかく、接近してくれとは……じっさい、足下に規制線はなく、ぎりぎりまで額に近づいて観察することが許されていたのだった。
 このような環境のもと拝見した陽三のカラーメゾチントの作品は、陰影の調子のつけ方がきわめて微細で、頭の中のイメージ以上に繊細なものだった。粒子単位で、階調をコントロールしているように感じた。
 印刷物や画像では、そのような階調は均質化され、単色で塗りつぶしたのと同様になってしまう。美術作品はなんだって現物を観るに如くはないのだけれど、浜口陽三という作家は、とりわけてそうであろうと思われた。

 本展は、その浜口陽三と新版画とのコラボレーション。共通点はといえば、版画であるということくらいであろうが……その異質性がメリハリになるところあり、陰翳礼讃の傾向に相通じるところありで、なかなかスリリングな掛け合わせであったのだ。(つづく



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