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瞳に映るファンファーレ 浜口陽三の銅版画と川瀬巴水をはじめとした新版画:2 /ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション

承前

 本展で最も多く出ているのは浜口陽三で31点、次いで川瀬巴水13点、伊東深水6点。
 今回の出品作にかぎらず、大正新版画には鏑木清方門下の作家が多い。巴水、深水しかり、2点が出ていた笠松紫浪しかり。清方自身による版画も、本展には1点だけ出ていた。
 深水と紫浪には清方門らしく美人画も含まれているが、新版画の出品作はほとんどが風景画。まずはこの点が、さくらんぼや西瓜、葡萄などの静物画である陽三の版画とは大きく異なる(参考:《スペイン風油入れ》〈1954年〉)。

 ポスターにも出ている川瀬巴水《奥入瀬之秋》(1933年)。川べりの紅葉に、秋の暖かな日差しが照り返す。
 暖色系の色みは鮮烈で、黒を基調として色数を抑えた陽三の版画とはやはり趣を異にしており、対照的だ。
 このような色彩の際立つものとは別系統の作として、夕景・夜景のような、闇や影を表現するものも目立った。こちらは、陽三の版画とも親和性が高いといえよう。川瀬巴水《新潟礎町》(1934年)のような作品がこれにあたる。

 本展の出品作には「浜口陽三の静物」「新版画の風景・人物」という対置関係がまずあり、さらに後者が親和性の高いもの、そうではないものに分けられることになる。
 陽三と新版画に通底するものは、技巧の極みともいえる微細な階調のつけかたと、一筋縄ではいかない鋭敏な色彩感覚といえそうだ。
 展覧会名の「ファンファーレ」とは「感動に満ちた世界のはじまりを告げる音」(公式ページより)とのこと。
 陽三の作とはいささか異質なもの/少し親和性のあるものを取り交ぜて展示することで、鑑賞者の感性にゆさぶりをかけ、感動の扉を開かせる……そんな意味合いがあるのだろうと理解した。

 わたしにとってのファンファーレは、闇や影の作だった。
 巴水門下、すなわち清方の孫弟子にあたる石渡江逸の《薄暮 銚子町今宮通りにて》(1932年)。

 今日の仕事を終え、とぼとぼと帰路に就く人々。通り沿いの家からは、夕餉の支度をする音が聞こえてきそうだ。
 人間か自然かでいえば、自然に比重を置いているのが巴水であるが、それよりもさらに人間寄りの、生活の感じがにじみ出ているいい絵である。
 銚子というのは、ヤマサ醤油創業の地でもある。ヤマサとしても、単なる風景画を超えた大事な一枚といえそうだ。

 深水の《大島十二景之内 黎明》も「光と影」の風景画で、よいものだった。
 タイトルが示すように、こちらは朝の景。牛飼いの朝は早い……
 本作に関しては、残念ながらよい画像が見つからない。このページに小さい画像があるので、参考程度にご覧いただきたい。

 季節柄を反映してか、雪景の図も多数出ていた。
 紫浪《本郷赤門の雪》に高橋弘明《雪晴(本郷赤門)》という、東大赤門の雪景色を描いた2作品。
 その他にも深水《池上本門寺山門雪景》、巴水《雪の柳橋》《雪中の梅》《雪中の鳥居》《五重塔の雪》などなど、いずれも紅白のコントラストを対象に定めたものとなっていた。

 白と赤の対比がここまで集まっていると、蒐集家の好みが反映されているのかなと思われた。
 会場では、作品が主題や作者ごとに集められることもなく、散らされていた。雪を描いた絵もそう。
 純粋に絵を楽しむ、美を享受するには、このような並び順はたしかによさそうだ。

 展示総数は61点。多すぎず広すぎず、集中が持続しやすい適度な分量で、とても観やすかった印象。十数年ぶりの来館となったが、休日のひとときをゆるりと過ごすには、いい美術館だなと感じたのだった。
 カフェでいただいた、ホルトハウス房子さんのチョコレートケーキも含めて……


 ※近々、カフェのリニューアルがあり、このケーキはメニューから消えてしまうとのこと。
 ※浜口陽三とドイツの画商・ベルクグリューンが、画廊の前で仲良く腕を組んでいる写真が展示されていた。ベルクグリューンはピカソやクレー、マティス、ジャコメッティを扱った名画商で、蒐集品を国に寄贈し、国立美術館にその名を冠している。現在、上野の国立西洋美術館でベルクグリューン・コレクションの展覧会が開催中。このあと、別の日にわたしも行ってきた。こうしてつながるとは、思ってもみなかった……

 ※参考として図版を挙げた作品は、展覧会出品の現物ではなく、同じ版の他館の所蔵作品。あくまで参考で、摺りの具合やコンディションは異なります。



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