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下総龍角寺:1 /早稲田大学會津八一記念博物館

 龍角寺は、千葉県印旛郡栄町にある寺院。成田空港の北西に位置し、茨城との県境も近い。
 神社でいう「村の鎮守」といった趣きの小さな寺ではあるものの、古代には関東の地に早い時期に仏法の花を咲かせた大寺であった。
 境内に散在する礎石と、収蔵庫に鎮座する重文の白鳳仏が、わずかに過去の栄華をとどめている。

バス停「龍角寺入口」に着いた頃には、もう夕暮れどき。12月の寒い日だった
3列に並ぶ礎石は仁王門の跡
こちらは金堂の跡……
三重塔の塔心礎。関東で、こんなに堂々たる塔心礎がみられる場所はそう多くない
《銅造薬師如来坐像》(重文)の収蔵庫。アポなしでの拝観は叶わないが、こうして現地に足を運ぶことに意義がある

 龍角寺に関してはもうひとつ、触れておくべきことがある。
 寺の周辺一帯に広く分布する、おびただしい数の古墳群についてである。

岩屋古墳(龍角寺古墳群・第105号墳)。右端に人影がみえるので、巨大さのほどがおわかりいただけると思う
みんな登っているみたいだけど、やめておいた
龍角寺古墳群・第101号墳。円筒埴輪だけでなく、人物・動物・家の埴輪が出土。資料館で実物を拝観可能

 古墳群は、6世紀前半から7世紀にかけて築造された。
 龍角寺は奈良時代の和銅2年(709)創建との伝があって、古瓦などの出土遺物、ご本尊の薬師如来像の制作時期とも矛盾しない。
 終末期古墳が築かれたーーすなわち、古墳がつくられなくなっていった時期と寺の創建は、かなり近いのだ。
 この頃、仏教の浸透により葬送儀礼・供養の方法に変化がみられ、人を葬る場は古墳から寺院へと移行していったのである。
 古墳と寺院が同じ場所で、ごく近接する時期に築かれた転換期の好事例として、龍角寺の名は古代史や考古学の分野ではつとに知られている。

 とはいっても、龍角寺といわれてピンと来る人が、一般的にどれほどいるだろう。しかも、千葉県内の展示施設ならばともかく、早稲田の博物館で龍角寺展とは……意外だった。
 聞けば、早稲田大学は、この周辺の発掘調査に継続的に取り組んできたのだという。研究と資料の蓄積があって、本展が実現した。(つづく



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