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書の紙:1 /成田山書道美術館

 その名もずばり「書に使われる紙」に着目した展覧会である。
 名称から真っ先に思い浮かんだのは、きらびやかな石山切の料紙装飾、金銀泥で経文が書かれた紺紙の古写経などであったが、本展の扱う範囲はずっと広く、多様で包括的。それは、ポスターやリーフレットのデザインからもよくわかる。

本展リーフレット

 第1章は「白い紙」。
 ひと口に「白い紙」といっても、米粉や白土を混ぜこんで漉いたもの、表面に具引きを施したものなど、素材や製法、加工によって性質は異なる。
 貫名菘翁の二曲屏風《眠雲臥石》(成田山書道美術館)のキャプションには、使われている紙が「わずかに茶色がかった画仙紙」だと書かれていて、思わずはっとしてしまった。
 古書画のこの種の紙色を、これまでわたしは一様に「日焼けによる褪色」と思いこんできたものだが、そうとはかぎらないのだ。本作のように、その紙が本来備えている、特徴的な色あいなのかもしれない。
 そして、あえてそういった紙に書くことが、作家にとって、制作意図を満たす最善の選択だった可能性は大いにある。
 こういった「表現のための必然的な用紙」という視座は、第1章の解説中にしばしば見受けられ、たいへん興味深かった。
 たとえば熊谷守一《五穀十雨》(成田山書道美術館)の紙は、黄土色に近い。ヤケにみえなくもないが、解説では竹紙と目されていた。制作当初から、現状に近い色だったようなのだ。
 まぶしいくらいに真っ白な紙よりも、渋い色がついているほうが、モリカズの書きぶりにはたしかに合いそうだ。
 
 紙の加工に関しての、各作家の取り組みぶりも興味深かった。
 河童の絵で知られる小川芋銭は、書もいい。出品作の対幅《七言二句》(成田山書道美術館)は、画が付されない純粋な書の作品だけれど、絵画と同様に、紙の表面ににじみ止めの礬水(どうさ)が引かれているという。馴れ親しんだ絵画と同じ要領で、余技の書をしたためたのだ。
 白隠の一行書《常念観世音菩薩》(個人蔵)。ゆらゆら、むらむらとした墨の濃淡は、書き足しという禁じ手によって生まれている。この原理は、琳派の「たらしこみ」と同じとのこと。なるほど、いわれてみればそうだ。白隠はにじみ止めのために、大豆をすりつぶした呉汁を塗布していたという。
 比田井南谷の前衛書《作品67-11》(成田山書道美術館)は、油彩画で使用される地塗り剤を塗布した紙に書くことで、独特な筆線を生み出している。制作過程からして独特である。

 この館の1階は、いつもガラスケースのない露出展示になっている。
 今回もご多分に漏れずそうで、紙の質感やにじみの調子などが、たいへん把握しやすかった。(つづく


新勝寺境内の梅園にて、少し早い春の便り



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