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小津安二郎の審美眼-OZU ART-:4 /茅ヶ崎市美術館

承前

 映画監督というものは職業柄、絵に関してある程度の素養を持っている人が多いと思われるが、小津もまた仕事の内外で絵を描いた。
 絵入りの色紙は相当数残されており、どれもよく整理された画面で、軽みと洒脱の風を醸す。このような余技の産物が、本展では主役のひとつとなっていた。

 色違いのうつわを3つ配置するのは、最もお得意のパターン。多くは自詠の句が添えられるものの、画と句のあいだに通ずるものは、あったり、なかったり。本作に関しても、画と句との関係を無理くり深読みする必要はあるまい。

 《鶏頭》(個人蔵)では、色の描き分けに気を配っている。

 枯れがかっているからこそ、グラデーションが生じている。小津が花の盛りではなく、この姿に惹かれたという事実はおもしろい。
 赤は、小津好み。画面上のワンポイント・アクセントとして多用された。定番のヤカンも赤だ(こちらは、本展には出品されず)。

 画面の赤は、ケイトウの赤であることもしばしば。
 しかしながら、わたしが鮮烈に思い出すのは、まだモノクロの『東京物語』。尾道の平山家の庭に咲くケイトウの赤である。夏の暑さに負けず、たくましく立つ、ケイトウの花。
 その姿とこの絵のケイトウとは、趣がだいぶ異なってはいるが、余情のあるいい絵だ。寒風の吹き抜ける感じがして、近ごろの気候にはぴったり。

 小品の絵画作品のほかにも、小津が手がけ、その美意識がよく現れているさまざまな例が紹介されていた。
 こちらは、『東京暮色』(1957年)の直筆シナリオの表紙。洒脱であるし、洗練されてもいる。

 1文字ずつ点いては消え、4文字が同時に点いて、今度は赤の「東」「色」だけ、続いて緑の「暮」「京」……というような夜の街の電飾を思わせるけれど、こんなに優しく、ほのぼのとしたネオンサインもあるまい。
 この他に、監督協会のロゴデザインや手ぬぐい、さらには本の装幀といったものが出ていた。盟友・山中貞雄や溝口健二のシナリオ集も、小津による装幀。これらの書籍は、古本で比較的安価に入手可能である。


 ——こうしてみてきたように、小津の審美眼が良しとし、またみずからの手で生み出したものには、こざっぱりとして軽妙な味わいが共通して感じられる。映画もまた、そのあらわれの一部であろう。そんなことが、本展をとおして実感されたのだった。
 今回取り上げた、映画を除いた「みずからの手で生み出したもの」に関しては、どれも「能(よ)くした」だとか「達者」、あるいは「マルチな仕事ぶり」といった表現は似つかわしくなく、「すべてが小津調のなかにあるんだな」というほうが、はるかにしっくりくる。それくらい、分野の垣根を超えて、統一感がある。
 偽りのない人だなと思うし、それが彼にとって自然体で当たり前で、かつそうあることが世間や周囲から認められ、求められたということなのだろう。
 そんな幸せなクリエイターは、もうすぐ没後60年。各種の上映やイベントが、これからまだまだ控えている。これを機に、どんな新しい側面がみられるか、楽しみである。

 ※食べ物にもこだわりの強かった小津が「とんかつはここ」と決めていたのが、上野松坂屋裏の「蓬萊屋」。ひれかつが絶品。まるまる・黒々とした野蛮にもみえる肉塊に、初見では身構えてしまうこと請け合いだが、その断面を見て、一口食べる頃には印象が一変するはず。店内には小津の色紙(の複製)がいつでも飾られており、下記リンクにもその画像が出ている(サムネイルは別のお店のとんかつです)。



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