小津安二郎の審美眼-OZU ART-:3 /茅ヶ崎市美術館
(承前)
本展で、とりわけ特徴的な点は「美術考撰」への着目。
展覧会名も、途中までは「小津安二郎の美術考撰 -OZU ART-」という仮称で周知され、現在のタイトルに落ち着いた。
耳慣れない「美術考撰」とは、小津作品のクレジットにみられる役職である。「美術」とは別に設けられ、呼び方も作品によって変化している。当ページでは総称して「美術考撰」と呼ぶことにしたい。
これらの劇中で食卓や宴席を彩り、壁や床の間をさりげなく飾った絵画や書、工芸品の選定にあたったのが、美術考撰である。
澤村陶哉(とうさい)は、現在も京都で続く清水焼の窯元。その血縁・山田隼生が東京・銀座に「東哉」という店を出した。東哉で修業した北川靖記は、独立して赤坂に美術商「貴多川」を開き、工芸品の考撰を引き継いだ。岡村多聞堂は、とくに日本画の額装で著名な老舗の額装店だ。
展覧会に関連して、貴多川の店を受け継いだ靖記の甥・北川景貴さんを招いてのトークイベントがあり、うかがった。
床の間に掛かる屋号の扇面は、小津から贈られた直筆。赤い薔薇が入った鶴首の青い花瓶は劇中にも登場するもの。窓際には、小津愛用の椿の湯呑。
すべて北川さんの所蔵品で、しつらえもご本人による。茶室の床を含め、定型にとらわれない華やかな取り合わせとなっていた。
これらはイベント限定で、本展の出品作ではないものの、北川さんご所蔵の小津旧蔵品は、展示室にも多数出ていた。
※写真左・のぞきケース内の8点。
本展の販促物、さらには図録にも、北川家所蔵品の図版は掲載されていない。上のカットは、なにげに貴重である。作品リストと記憶を照らし合わせながら、いくつか所見を残すとしたい。
左の島のケースに並ぶのは、唐津の大徳利3きょうだい。40センチほどの背丈も、下膨れで頸の細いフォルムもそっくりで、同じ産地・時代と思われる。釉薬だけが、朝鮮唐津や斑唐津に掛け分けられている。
いわゆる古唐津よりはもっと時代のくだる、江戸後期の民藝的なうつわで、3点は本来一具でもなんでもないはずだが、こうしてボン、ボンと3つ並べられると、まるでワンセットにみえてくる。
なにより、その佇まいは「用の美」「野趣」というよりはオブジェ的なおもしろみを感じさせ、スクリーンにも映えるであろうと思われた。『お早よう』の劇中でも、ツイン・タワーならぬトリプレット・タワーとして、子どもたちを背後から見守っている。
ひとつ手前の島ケース・左端は《南蛮手土瓶》。
煎茶では「ボーフラ」と呼ばれる小型の急須を用いる。「南蛮手」はいわゆる焼き締めのことで、南蛮手のボーフラはよくみかけるものであるが、本作はそういった種の作を、そのまま土瓶サイズまで大きくしたもの。
ボーフラで淹れられるのはお猪口ほどの煎茶碗に数杯であるいっぽう、この土瓶サイズなら、湯呑で数杯はいけるだろう。
隣に2つ並ぶ湯呑は、『彼岸花』などに登場し、銀座の東哉で現在も販売されている定番の《口朱ダミ菊透紋湯呑》《染付立筋紋湯呑》。
漆器の《朱刷毛目金彩唐花文椀》を挟んで《竹透かし御絞り入れ》。竹をひと節とちょっと分だけ切って、側面に3か所ほど、逆V字状の透かし窓を開けたもの。
ごく単純な細工だが、非常にしゃれているし、カビの発生も防げるすぐれものである。こちらも、劇中に登場する。
他にも、小津旧蔵の酒器一式が出ていた。こちらは、横浜の展示に続いて本展でも協力されている研究者・築山秀夫さんの所蔵品。
同じく東哉あたりの作と思われる、ごく薄手の磁器。白磁が主体で、染付や赤絵、金彩が入るとしても一部だけという、抑制を利かせた加飾となっている。かたちも同様にすっきり・さっぱりとしているけれど、月並みを避けて、それぞれに目を引く特色がある。
会場では写真のうつわのみならず、もう少し多い点数の酒器がずらっと並んでいたのだが、どれも同じ傾向をみせていた。
小津の嗜好や審美眼を、そのまま物語るような光景であった。(つづく)
※昨日、こんなニュースが飛び込んできた。まさかの京都。
※「美術考撰」については伊藤弘了「小津映画と「美術工芸品考撰」 井手恵治氏インタヴュー」が詳しい。
※以前書いた、小津のうつわの話。
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