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洛中洛外図屛風と縄文土器 /東京黎明アートルーム

 縄文の遺物を、考古学的な視点からではなく、美的・鑑賞的な観点を主体として蒐め・展示している館というのは、非常に少ない。というか、ほとんど思い当たらない。
 縄文土器が美術市場でまともに扱われるようになったことじたい、そう古い話ではないから、それら数少ない例はいずれも、比較的成立の新しい後発の美術館・コレクションということになる。2005年に前身をオープンさせた東中野の東京黎明アートルームも、そのひとつだ。
 展示される縄文土器は15点、土偶が2点。翡翠の大珠もあった。作品解説には編年など考古学の学術的成果が援用され、おおむね時代順に並べられてはいるが、時代や地域などの均衡を考慮した教科書的な展示とは異なる、コレクターの美意識を色濃く反映した作品群となっている。
 1階の展示室で最初に出合った作品に、目を奪われた。縄文土器といえば、あの「火焔土器」をはじめとする、立体的でデコラティブ、コテコテなものを思い浮かべる方が多いであろうし、わたしのイメージもだいたいそうなのだが、それとはいささか趣を異にする「薄口」な作品であったのだ。それが、こちら。

 全体のフォルムは円筒に近く、口縁に向かってやや外反していく。その表面全体に、細かな文様が一定の法則性をもって施されている。きわめて繊細な加飾である。
 展示作品のなかでは最古とのことで、そのために最初の1点となったわけであろうが、いみじくもたいへんにモダンな、縄文らしからぬ雰囲気をまとっていて、鑑賞者をいい意味で当惑させるのであった。

 こういった縄文土器をこしらえた古代の工人に対して、創作意識の強い現代的なアーティスト像を重ねる見方をしてしまうケースは多いけれど、彼らは隣接する他地域などから部分的に要素を取り入れるようなことはありつつも、基本的にはある地域・時代ごとに存在した規範・スタイルに忠実に則って、造形を生み出してきた。
 それら規範・スタイルは考古学的研究の蓄積によって詳らかにされており、どの地域でどの時代につくられた土器か、どんな系統に属するものか、おおむね断定することができるようになっている。

 それにしても、あの「火焔土器」のイメージを引きずったままでいればいるほど、縄文の奥深さとおもしろさ、そして美しさに惹かれていくであろうこと請け合いの本展。
 作品セレクトの主眼はあくまで美的価値にあるとあって、痛々しい破損や石膏の直しがみられるものは、出品作には含まれていない。一分の欠けもない完品、ないし一見してそれとは気づけない非常に高度な直しが入っている鑑賞性の高い縄文土器のみで、構成されている。その一端をご紹介。

 木器や編組(木の籠)など、他の材質によってつくられたうつわを陶で再現しているような作がちらほら。「縄文」の名の由来である縄目状の文様も、そういった印象を補強している。
 上の《台付鉢形土器》(東北地方北部出土  縄文晩期・前1000-前400年頃)もその種の作で、かなり薄手であり、きわめて高い技術と鋭敏な感覚がうかがえる。神に捧げる供物を盛りつけたうつわだろうか。

 土偶2点、さらに古墳時代の埴輪頭部残欠2点が、2階の展示室に出ていた。土偶はどちらも、それこそ教科書でおなじみの《遮光器土偶》(いずれも縄文晩期・前1000-前400年頃)。
 片方(青森県出土)は頭部のみだが……デカすぎる! 頭だけなのに、隣の全身が残る遮光器土偶(下のポスターに掲載のもの)と同じくらいの高さじゃないか。とんでもない大きさだ。完品で出土地の詳細も判明していたら、国宝だろう。

 完形のほうの《遮光器土偶》(上の写真。伝・岩手県出土)。
 まず、完形をとどめていることじたいが驚き。呪術的な理由で意図的に破損されたり、長く土中にあってどこかが欠けることもなかったのだ。
 そして、表面を徹底的に磨き上げた、いたってなめらか・ツルツルな処理にも目をみはる。こちらの遮光器土偶も、たいそうなものだ。

 その奥に控えていたのが2点の《埴輪  女子頭部》(いずれも古墳時代・6世紀)。うち千葉県出土の作(下)は整った造形で、耳や首飾りなど細部が精巧に施された、美作というべきもの。

 ※ツイートには「埴輪を3点展示」とあるが、2点だった。

 この埴輪に関し、作品解説では「憂いを帯びた表情」であると記されていた。
 みなさんは、どうお感じになるだろう。
 わたしは実物を拝見して、「憂い」というより「きりっと」している印象を受けた。口をきゅっと結び、少しだけ眉をひそめている。精悍な表情に思われたのである。

 やきもの・考古遺物としては他にも、土師器・須恵器、中世陶器が数点並んでいた。
 なかでも古信楽の《大壺》(室町時代・15世紀)はすばらしい景色で、わたし好み。後で確認してもわからなかったけれど、土門拳の『信楽大壺』所載のものだったかもしれない。

 展覧会名に真っ先に冠されるように、縄文と並んで本展のツートップを張るのは《洛中洛外図屛風》(江戸時代・17世紀)。後水尾天皇の二条城行幸を主題とするタイプで、解説にもあったように、描写は形式化が進んでいる。人の描き込みや数は減り、建物の描写も粗略であるいっぽう、描かれている人々がみな同じような顔つき・体つきをしている点はかえって滑稽で、愛嬌すら感じさせた。
 屏風の手前には仏像、地階には肉筆浮世絵の展示が。毎度ながら、異なるジャンルの逸品をコンパクトに拝見できるのはこの館の大きな魅力で、うれしい。

 7月22日からはじまる次回の展示は「祈りのかたち うれしいときも かなしいときも」とのこと。宗教美術の名品が観られるようだ。こちらにもぜひ、うかがうとしたい。


ひと足早い、団地のヒマワリ。7月2日、船橋市内にて



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