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鈴木其一・夏秋渓流図屏風:3 /根津美術館

承前

 鈴木其一《夏秋渓流図》と出合った日のことは、ふしぎなくらい、はっきりと覚えている。
 そのときいだいた第一印象は、次の3つのポイントに収斂されるように思う。

1.強さ
 金箔に負けじと自己主張をする群青、緑青、焦げ茶。濃彩のまま、メリハリなく、原色で押しきられている。檜の幹はボン、ボンと地面に垂直に突き刺さる。その「強さ」がまずひとつ。

2.新しさ
 コンディションの良好さを抜きにしても、「ほんとうに近世のものでいいのかな?」と疑ってしまうくらいに「新しさ」がある気がした。「近代の日本画です」といわれても、そうかなと思わせる。
 其一の生きた時代には、近代の足音がもうそこまで近づいてきていたのだな――そうやって自分を納得させ、作品の前を立ち去った記憶がある。

3.違和感・奇妙さ
 「なんか、ヘンな絵だな」というのが正直なところ。
 流水や檜はもちろん、幹のすきまからのぞく、妙に写実的で生命感のある百合と、それとは真反対の、妙にマンガチックな熊笹。右隻の檜にとまる、妙にでかでかとした蝉……
 なごむ、癒される、美しさ・心地よさが得られるというよりも、「違和感」「奇妙さ」が先立つ。
 不快感とは異なるけれど、あと一歩間違えればそうとられてしまいかねないような、品位を保つぎりぎりのところが攻められている。そのうえでの「ヘン」。

 わたしと同じように、初見での強烈なインパクト以来、この屏風のことが頭のどこかに引っかかりつづけていた人は相当数いるのではないか。それが今回、(重要文化財指定を記念するという名目があるとはいえ)本展が単独企画として成り立ったことの背景に、どうやらありそうだ。
 この日、わたしはまたこの屏風の前に立ったが、第一印象はまったく揺るがなかった。
 同時に、それでもなぜか魅かれてしまうものだなと、さらにふしぎさが増したのだった。

 この一点の屏風の成立過程には、これまでみてきたように、先行するいくつかの作品の技法や着想が取り入れられてはいる。
 作品解説でいわれていたように、それはまさに「スーパーハイブリッド」を称するにふさわしい成果なのだが、もしこれがキマイラのようにちぐはぐなモザイクであったのならば、現にある「強さ」や「新しさ」、そして「違和感」すらも生まれなかっただろう。ぎりぎりのところで踏みとどまれず、人を素通りさせるような作になっていたはずだ。

 この屏風で其一が成したのは、換骨奪胎でなく、昇華・止揚なのだ。
 そのぶん、成立に関わったであろう作品の影はぼやけ、あるいはその背後に消えうせてしまっていたところ、本展ではその過程を解きほぐし、腑分けし、並べなおして提示することに成功した。
 「これぞ美術史!」と、ひとり快哉を叫んでしまうわたしであった。

 最後の部屋は、其一一色。
 《夏秋渓流図》の解釈に終始せず、其一が残したありとあらゆるバリエーション、高いレベルの作例を各種取りそろえ、画業全体への理解を促している。
 というのも、《夏秋渓流図》は押しも押されぬ「代表作」でありながら、同時にずば抜けた「異色作」でもある。其一の技量と幅の広い仕事ぶりを、残念ながらこの一点では表しきることができかねる。
 その点までもしっかりとフォローをして、展示の〆とされていた。きめ細やかに配慮が行き届いている。

 冒頭に記したように、じつに「骨太」の展覧会であった。
 点数としては控えめで、展示室も広大というほどではないけれど、見ごたえ、じゅうぶん。重文指定の記念展だけに。

※映像作家の藤原敏史さんが書かれた本展のレビューがたいへんすばらしく、わたしの所感とも多く重なる。写真もきれい。わたしの駄文よりもこちらを読んでほしいし、編集者だったら原稿依頼をしたいくらいだ



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