江戸の陶磁器 古伊万里展:2 /松岡美術館
(承前)
青手の古九谷には、意匠のおもしろさや大胆さが光るものが多い。
《色絵竹木葉文鉢》に描かれるのは、竹は竹でもこんな竹。
この竹と葉っぱを、どうして組み合わせようと思ったのか。地を埋めつくす、菊の花やワラビ・ゼンマイにも似た唐草文は、いったいなんなのか。
もしかしたら、なにか洒落や寓意が込められた意匠なのかもしれない。「はちく(葉竹/破竹)の勢い」、なんちゃって……竹も破(や)れていることであるし……
ふしぎな文様世界に、興味は尽きない。
古九谷様式のもうひとつのタイプが「五彩手(ごさいで)」。
とりどりの丸文を連ねた《色絵竹雀図輪花鉢》は、そのなかでも古い手にあたる「祥瑞手(しょんずいで)」の作。
この手の丸文の連続をみると、わたしはいつも、サラダに乗っける茹で卵の薄いスライスを思い浮かべる。
しかし、この断面は金太郎飴ではない。数種からなるアソートで工夫されており、かわいいのだ。
五彩手をもうひとつ。
《色絵梅花鳥図鉢》の、見込の文様をよくよくご覧いただきたい……かなり、ヘンじゃないだろうか。とくに、鳥。
写真の左側と下側にある山水、それに鳥の向きは、この写真の角度に合わせて描かれている。
それなのに、鳥がとまる梅の木や地面は、写真右側を下として描かれているのだ。こういった断崖絶壁の地をあえて選んで生きようとする梅の木も、この世になくはないのであろうが……
試しに、画像を回転させてみよう。
梅の木の据わりはよくなったいっぽうで、今度は山水が(遠景の岩山にみえなくもないけれど)やや無理のある風景と化し、鳥は変にひねったポージングになってしまった。
古九谷の文様には、中国の版本が活用されていると判明している。この図様も、そういったものであろう。
画譜のどのページのどの部分を持ってくるか、どう組み合わせるか、どうアレンジするかなどは、自由が利いたと思われる。
本図も「角度を変えても成り立つ図」を企図した職人の工夫の跡とみえるが、実を結んだとはいいがたい。しかしそれゆえに、愛おしさがあるのだ。
この「細かいことは気にしない」アバウトな絵付の感覚は、古九谷より少し前の初期伊万里のそれを、とてもよく偲ばせる。
※初期伊万里の大皿の例。「大和文華のアレがいいかな」と思ってこのページを開いたら、解説には奇しくも「細かい点は気にしない豪快な絵付け」と……
辻褄とか、帳尻とか、どうでもいい。おおらかな、古きよき時代である。こうした、間の抜けた作もまた愉し。
——古九谷の名品はまだまだあって、こうもずらっと並ぶ機会じたい、都内でもかなりめずらしいといえよう。
会期は始まったばかり。印象派のついででもいいので……ぜひどうぞ。