見出し画像

色鍋島あれこれ:4

承前

 俗また俗なたとえをしてしまったが、思えばわたしたちは「鍋島焼=献上、品格」といった図式にとらわれすぎて、その先の実用に供されたときの姿にまで思いをいたす機会が極端に少なかったかもしれない。
 鍋島焼の侵しがたいほどの品格、まったく隙のない完璧な構図は、その上に料理が盛られ、汚されることを拒否するのではないか……そういった危惧があるのは確かなのだが。

 発想を転換するヒントとなりそうなのが、大河内正敏の文章である。
 色鍋島や柿右衛門を美的に鑑賞しようという動きは意外にも新しく、大正時代の話。その先駆者が大河内正敏で、「色鍋島」という呼称はその当時に広く使われていたものだった。
 旧大名家の華族・子爵であった彼の家には色鍋島の組皿が伝わっていたが、一枚割れ、また一枚と割れていきいつの間にか見なくなってしまったという。どの旧家でもそのような状況だったところ、新たに色鍋島の美を見直したのが大河内その人だった。
 そんな大河内はたいへんグルメなお殿様であり、『味覚』という美食のエッセイ集が中公文庫に入っている。鴨を射撃して食べる話などとくに秀逸であるが、それ以上に印象深いのはその名も「色鍋島と鰻の大串」と題する一篇。大河内は大胆にも、串に刺した大ぶりの鰻を色鍋島の上に乗せたというのである。
 蔵書を漁っているが、『味覚』が見当たらない。あの大串の鰻は、蒲焼だったろうか、白焼だったろうか。もし蒲焼であれば、たいそう豪快なお殿様である。

 美術館に並んでいる色鍋島の皿にだって、遠慮なくなにかを盛ってみてもいいかもしれない。頭のなかでならば、いくらでもし放題だ。さあ、色鍋島の皿に、なにを盛ってやろうか……(おわり)



※今年の土用丑の日は来週28日とのこと


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?