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椿、咲く。:2 /UNPEL GALLERY

承前

 乾山の軸は《山茶花図》。正方形に近い縦横比(やや縦に長い)の画面で、乾山窯の主力製品であった角皿をそのまま軸に仕立てたような着彩の小品だ。
 画面右半分に寄せるようにして、たくさんの小ぶりの山茶花を密集して咲かせている(椿と山茶花については、当時はいま以上に混同されていたらしい)。
 余白の左上にはでかでかと、堂々とした筆致で賛を付す。この賛がなかなかよいので紹介する。

 倣嫌梅冷淡 故着艶粧濃
(意)梅は冷淡で嫌われやすいので、山茶花を濃いめの色遣いで艶っぽく描いてみました

 なるほど、梅という花は歳寒三友にも挙げられるように、厳しい寒さに耐えてぽつりぽつりと蕾を膨らせる。その孤高のたたずまいは、他を寄せつけない怜悧さをもつものともとれる。「一輪ほどのあたたかさ」とはまた違った捉え方である。
 椿はおしくらまんじゅうのように群れて咲くし、乾山が描くこの絵のように紅白、蕊(しべ)の黄、葉の緑など色彩にあふれている。まろみを帯びた花の形も、ほっこりとなごやか。乾山の言わんとし、描かんとしているところが、画と賛の双方からよく伝わってきた。
 わたしはどちらかといえば梅の花がすきだが、乾山のこの眼をもってして他の椿絵を見てみると趣が違って見えてくるし、椿の花自体も愛おしく思えてくる。

 作品をもう一点。鈴木其一の《梅椿図》は件の「椿と梅」という組み合わせの折枝画で、水墨を主体に要所に淡彩を施したもの。きびきびとした筆遣いで小気味よく、墨技冴えわたる玄人好みの逸品。縦位置の画面での効果的な余白の活かし方も含めて、「粋(いき)」という言葉が似合いの、気持ちのよい作であった。

 展示品全体を通して感じたのは、ただ椿が描いてあればなんでもよいというものではなく、一定以上のクオリティ・品位を保ちながら有名作家の作例がひととおり取りそろえられているコレクションだということ。
 椿をシンボルとした企業というと、資生堂のイメージが強い。山梨県立美術館の展示に出ていた須田悦弘さんの《椿》という作品は、資生堂の古い小さなガラス瓶に椿の花(の木彫)を生けたものであった。
 それが今日から、少なくともわたしのなかでは椿といえばあいおいニッセイというイメージに変わった(かもしれない)。コーポレートイメージの形成にあたって、視覚的な喚起というのはやはり大事なのだろう。

 ギャラリーを出る前にひとつ、おせっかいな心配ごとが浮かんだ。椿の花咲く頃に開館したこのギャラリースペースは、椿の花が落ちる春先には公開を終えてしまいやしないか。
 これに関しては、プレスリリースに明記されていた。
 今後は「全国で行われている公募展優績者の個展、美術大学卒業生の作品展、災害の記憶伝承を目的とした当社近世・近代災害史コレクションの展覧会を開催する等、個性豊かなメセナ活動を展開して」いくとのこと。
 今後も目が離せない。


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