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向井潤吉アトリエ館 :2

承前

 向井潤吉アトリエ館の建物は潤吉の元・自宅兼アトリエで、古民家を思わせるなだらかな三角屋根のお宅。個人宅にお邪魔するように、玄関先では靴を脱いで入る。
 展示室は、岩手・一関から移築された蔵造りの1、2階をメインに、数室。潤吉が制作にいそしんだ当時の空気を感じながら、つかれない程度の適度な点数を、じっくり鑑賞することができる。

 潤吉が茅葺き屋根の古民家を集中的に描きはじめたのは、戦後の話。
 終戦直後の混乱に高度経済成長が拍車をかけ、宅地開発や過疎化が急速に進行。かつてはどこにでもあった風景が、静かに消滅の危機に瀕していた。
 その流れに抗うように、潤吉は郊外に通いつめ、古民家の姿を描きとめたのだった。
 向井潤吉アトリエ館で拝見できるのは、主にこういった作。戦前の、そのほかの作例が展示される機会はさほどない。

 戦時中の潤吉は、従軍画家として大陸を巡り、国威発揚の戦争画を描いていた。
 福富太郎さんのコレクションには古民家の絵、戦争画のどちらもが含まれており、後者は一括して東京都現代美術館に寄贈されている。
 昨年、東京ステーションギャラリー「コレクター福富太郎の眼」展や、同時期の現美の館蔵品展をとおして、それらに相次いで触れる機会があった。
 潤吉の戦争画に触れるのは、これが初めてであった。

 《通州の南門》は、ぱっと見では、戦地を描いた絵とは認識できない。

 中国の古い城壁と、そこに通された城門。よく見ると、手前にいる豆粒ほどの数名が、自動小銃を持った兵士であるのがわかる。
 ここでの画家の興味は、どう考えても石の壁や土の道の荒れたマチエールの描写に向けられている。戦場を意識させる要素は、申し訳程度の添え物にすぎない。

 いっぽうで《影(蘇州上空)》は、「東洋のヴェネツィア」といわれる水の古都・蘇州の街並みに、戦闘機が大きなシルエットを落とす……というもの。

 少しというか「かなり」怖い絵で、不穏なことこの上ない。血みどろの惨状を下手に描くよりも、よほど不安感があおられる。
 戦後の古民家を描いた絵からは想像もつかないが、潤吉はたしかに、従軍画家であったのだ。

 けっして目をそむけてはいけないとわかっていながら、わたしはこの種の絵が、どうも苦手である。
 そのような個人的な嗜好は別にしても、こういった潤吉の一面を知っているか否かで、戦後の茅葺き屋根の古民家を描いた絵の見え方も変わってこよう。
 ただ暢気に、すきなものばかりを描いていたわけでもないのだ。
 戦争を生き抜いた世代の人々、なかでも体制側に加担した自覚のある人々は、われわれには計り知れぬ傷と、深い思いをもって戦後を生きていたはず。
 戦争画に触れたあとの現在の目で、もう一度、アトリエ館の古民家の絵を観てみたいものだと思っている。


 ※潤吉は、作曲家の古関裕而とインパール作戦を共にしている。NHKの朝ドラ「エール」には、潤吉をモデルとした画家「中井潤一」が登場。わたしはテレビの前でひとり、盛り上がっていた

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