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いちはらのお薬師様 -流行り病と民衆の祈り-/市原歴史博物館

 2022年11月20日、市原歴史博物館が新たにオープンした。古代に国府があった街であり、豊富な文化財を有する市原市としては、悲願の開館であった。
 それから1周年を目前にして、記念すべき第1回の特別展として開かれている本展。「興味のある展覧会があったら行ってみよう」と目論んでいた身としては、ついに時は来た……という感じである。

 ある時期以降につくられた日本の薬師如来像は、左手に薬壺(やっこ)を乗せている。薬壺は「薬師」の名に沿うよう、病気平癒の霊験を視覚的に示す持物(じもつ)となっている。最も身近で切実ともいえる現世利益を求めて、みな、お薬師様にすがった。
 本展では、市内の寺から6件の薬師如来像を出陳、脇侍の日光・月光菩薩、十二神将の像を交えて展示している。
 こういった仏像の展示が核には違いないし、ポスターやリーフレットでも仏像が前面に押し出されているのだが、その前後のパートでは薬師如来信仰、さらには流行り病と闘ってきた民衆の祈りの様相についても、さまざまな資料を用いて紹介。歴史・民俗からのアプローチが付加されることで、より厚みのある内容となっていた。

 まず、年表により、千葉県内を中心とした日本の流行り病の歴史を、2023年からスタートして古代までさかのぼっていく。コロナにノロウィルス、BSE、O157……
 突き当たりのケースには、近世のコレラ、近代のスペイン風邪の際の生々しいやりとりを示す文書や、病除けの縁起物、御守の版木、絵馬など、市内の古社寺にゆかりの民俗資料が展示されていた。
 埼玉・鴻巣の名産で、市内にも流通していたと思われる「赤物」は、疱瘡神が赤を嫌うことにちなんだ小さな土人形。展示では、明治期の古い赤物がたくさん並んでいた。かわいい顔して、それぞれが切実な背景を背負っているのだ。

 さまざまな病のなかでも、薬師如来は眼病に効験があるといわれた。もとは薬師如来が立てた十二大願の第一願「光明普照」(=あまねく光を照らす)からの連想で、こじつけといえばこじつけというほかないけれど、医学の発達しない時代、数少ない頼みの綱だったことは想像に難くない。
 《向かい目絵馬》は、眼病の治癒を願って東京・新井薬師梅照院に奉納された絵馬。まったく同じ意匠の、市原市内の薬王寺に納められたものが展示に出ていた。新井薬師も薬王寺も、ご本尊は薬師如来だ。

 こういった資料を踏まえて薬師如来の仏像を観ると、お像に向き合う心構え・心持ちといったものが、ひと味違ってくる。賽銭箱があればいいなとすら思った。
 薬師如来像6件は、いずれも市内の寺院で大切に伝えられてきた作。時代は平安時代後期から室町時代までで、県文化財2件、市文化財2件を含む。造形的に観察するというよりは、祈りや願いの対象として、じっくり拝見。
 どのお薬師様にも「目力(めぢから)」を感じたのは、きっと錯覚ではないだろう。仏師もまた、制作している像が完成後には眼病平癒の祈願対象となることを意識して、目もとに関してはとくに入念に彫り進めたのではと思われるのである。

  「いちはらのお薬師様」の集まった中央の部屋とは仕切られた空間に、もう1件のお薬師様が鎮座していた。龍角寺の白鳳仏《銅像薬師如来坐像》(重文)だ。

 龍角寺は栄町、成田空港の近くにある古刹。白鳳仏は本展のいわば特別ゲストであると同時に、薬師如来信仰に関して掘り下げていく新章の幕開けを告げている。
 諸国に置かれた国分寺の本尊は、薬師如来であった。博物館の前に行ってきた上総国分寺もそうである。疫病の蔓延した時代。鎮護国家の礎は、まずは健康からということか。
 国分寺の開基に尽力した僧・行基の母は薬師(くすし)であったと伝えられ、同じく行基を祖とする多くの寺院に薬師如来が祀られる。行基は薬師如来の化身といわれ、セットのように語られてきた。本展ではそんな「行基伝説」を、市内の寺社に伝わる縁起などを引いて紹介していた。
 資料は、さらに多岐にわたる。千葉県内の薬の歴史にまで話が広がったのにはびっくりだったが、終盤の解説パネルの一節が、とてもよかった。要約すると……

薬は、弱った身体を強くする。
信じる力は、心を強くする

  「病は気から」といったところで、カラ元気の気持ちだけでは、ましてや祈り・願うのみでは、治るまい。
 しかし、みほとけに祈り・願う行為によって、人は、病に立ち向かうための心理的な支えを得ることはできる。
 「信じる力」、あなどりがたし——信仰に関わるモノに接する、またそういった場所に身を置こうとするときに、けっして忘れてはいけないことだと思った。

 ※本展のPR動画。

市原歴史博物館・外観



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