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小津安二郎の審美眼-OZU ART-:2 /茅ヶ崎市美術館

承前

 本展は、作家紹介のプロローグを除くと、4つの章からなっている。

・第1章 芸術のことは自分に従う 劇中に登場する小津の美へのこだわり
・第2章 洒脱なデザインの数々
・第3章 宣伝資料で楽しむ小津映画
・第4章 小津監督と茅ヶ崎

 本展の展示資料の性格も、章立てどおりにほぼそのまま、次の4つに分けられる。

① 劇中に小道具として登場する、小津旧蔵の書画や工芸
② 小津が描いた絵や、手がけた本の装幀
③ 小津作品の映画ポスター
④ 茅ヶ崎関連

 ①~③に該当しない小津の着物や手紙、資料類もあったが、これでおおむねカバーできる恰好。
 ③のポスターに関しては、ちょっと大げさで下世話な香りがする、当時のふつうの映画ポスターである。ポスターにまで、小津の美意識は徹底・浸透されていた……といったことでは、残念ながらない。
 映画作品そのものに関連する展示資料はこのポスターや雑誌、写真などにとどまる。それに近いものとして、映画のワンシーンに映りこんでいる絵画・工芸や、制作時の直筆ノートの表紙に小津が描いた絵といったものがあって、こちらが展示の中心となっていた。
 すなわち本展は、映画作品の内容はひとまず措き、少し離れたところから、小津の美意識を探る趣向になっている。
  「豆腐屋」をみずから任じた小津から、豆腐たる「映画」を取り上げるようにもみえるが、たった一瞬一秒・1カットにも、小津の意図や美意識は込められている。小道具の選択に関してもそれは同様で、壺ひとつ、湯呑ひとつにも意義があるのだ。
 美意識に適い、劇中の場面に適したものを、小津は自宅にある私物から選び出し、小道具としてスタジオにしばしば持ち込んだ。身近なものをモデルにして、映像や物語を構想していたともいえるのだろう。撮影中は自宅がガランとしていた……といった話も残っている。このような監督は、小津をおいて他にいないだろう。
 美術の世界ではよく「コレクションとはコレクターにとっての作品、創作物である」といった言い方をする。たしかに、そうであろうと思う。
 コレクションとまでいかずとも、好き好んで買い求め、日々普段使いしているものや、自宅や仕事場で身の回りを囲んでいるものもまた、その主(あるじ)の人となりや嗜好をよく物語るのであるし、広義の「創作物」といってもよいのだろう。
 小津の場合は、日用品と小道具が、文字通りの地続きになっている。職と暮らしを分かたずに、美意識がつながっている。生涯独身であったことも、その徹底ぶりには関係しただろうか。
 単なる「映画監督の旧蔵品」とは、いささか意味が異なっているのだ。そこに迫るのが、本展の主眼でもある。(つづく


美術館へ向かう途中で見つけた門構え。小津がいた頃の茅ヶ崎の街には、このような風景がありふれていたのだろう



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