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いにしえが、好きっ!-近世好古図録の文化誌-:1 /国立歴史民俗博物館

 「いにしえが、好きっ!」で好きで、仕方なかった人びと……こんにち「好古家(こうこか)」と呼ばれているアマチュアの知的趣味人が、江戸後期から明治にかけて全国各地にいた。
 好古家は現在の文献史学者、考古学者、美術史学家、学芸員、あるいは古美術・骨董のコレクター、郷土史家などの遠くて近いご先祖であり、彼らの残した記録は、学究の一分野として確立される前夜の文化財の受容をいまに伝えている。
 好古家たちが「いにしえ」へ向けたまなざしを、古器物の大全集『聆涛閣集古帖(れいとうかくしゅうこちょう)』をとおして探ろうという展示である。

  『聆涛閣集古帖』は江戸後期、灘の素封家・吉田家が3代にわたって編みあげた大図録。
 吉田家「家蔵」のものから、古社寺や他の好古家が所蔵するものまで、模写や拓本によって記録された資料は2,400点に及ぶ。
 このなかには、他の好古図録から引き写した図も含まれている。その時点で把握できている「よき古きもの」をすべて、集成してやろうじゃないか……そのような編集方針だったのだ。

  『聆涛閣集古帖』の所載品には(1)同じ所蔵先に現在も所蔵されるもの、(2)その後所蔵先を変えながら現存しているもの、(3)所在不明のものがある。
 本展では(1)(2)の現品や複製品を、『聆涛閣集古帖』の該当するページとともに紹介している。(3)に関しては、該当する類品を展示。
 描かれたモノと実際のモノとを見比べると、傷や欠けにいたるまで正確を期した描写ぶりがうかがえ、感嘆するばかりだった。

 また『聆涛閣集古帖』の記述によって、はじめて出土地や来歴が判明するものもある。


 ——江戸の人々が驚きの目をもって観たモノが、いま自分の前にある。
 その事実に感慨を覚えたのであるが、同時に、われわれが現代のミュージアムで観るモノの姿からは、そういった「過程」の部分がばっさり省かれているのだなとも感じられたのだった。

 古代ペルシャで製作されたガラスの《白瑠璃碗》(東京国立博物館  重文)。大阪府羽曳野市の安閑天皇陵からの出土品と伝えられ、正倉院にも同じ手の碗が残されている。

 本作も『聆涛閣集古帖』に掲載。当時は、発見者から出土地に近い古刹・西琳寺に寄進されていた(※その後、廃仏毀釈の混乱でしばらく行方不明に)。

 今回はガラスの碗のみならず、碗を収納するための桐箱(外容器)、行器(ほかい)形の内容器、碗をくるむ仕覆、さらに木製の飾り台が一緒に展示されていた。これらの附属物は、本作の旧蔵者——「好古家」たちが仕立てたものである。

 このガラス碗はふだん、東博の考古展示室・古墳時代のコーナーの一角に、附属物なしの「裸」の状態で飾られている。壁と一体化した、作品が1点だけ入る特別なケースが現在の定位置である。
  近世の「好古」の文脈から切り離され、通史のパーツの一部として嵌め込まれているのだ。
 それが悪いという話ではけっしてないのだが、ミュージアムという系統立った秩序が成立する過程ですっぱり切り捨てられた一側面に、時には目を向けることが必要だなと痛感したのであった。(つづく


歴博のある佐倉城址の樹木


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