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いにしえが、好きっ!-近世好古図録の文化誌-:2 /国立歴史民俗博物館

承前

 灘の吉田家に所蔵され、図録『聆涛閣集古帖』にも記載された資料の多くは、その後散逸してしまった。
 本展では、吉田家の旧蔵品を可能なかぎり集めることで、「聆涛閣コレクション」の再現が試みられていた。

 関西大学博物館の《馬形埴輪》は、大坂の「知の巨人」木村蒹葭堂から吉田家に伝わったのち、兵庫県令(現在の知事)で好古家でもあった神田孝平(たかひら)、大阪毎日新聞社長の本山彦一を経て現在に至る。
 いずれも好古趣味をめぐるテーマには頻出の人物で、華麗な伝世過程といえよう。公式ツイッターでは「何人もの好古家のリレー」と表現されている。

 ただし、吉田家から神田孝平へはあくまで「貸した」状態だったらしく、俗に言う「借りパク」ということになる。同じ伝来をたどっている資料が他にもいくつか出ており、馬の埴輪と一緒に借りパクされたのかもしれない。

 以上の《馬形埴輪》の伝世過程についてはこちらの報告に詳しいが、この事例のように、本展のベースとなった共同研究や調査、それに展覧会の準備をきっかけとして明らかとなった新事実が多々あり、本展にフィードバックされていた。

 来歴が不詳だった国宝《線刻釈迦三尊等鏡像》(平安時代  泉屋博古館)は、『聆涛閣集古帖』掲載の拓本の原品と確認された。そして注記の「家蔵」「伯耆大山之山崩所取得」によって、吉田家の旧蔵であること、出土地までもが判明したのだった。

 昨年の10月、泉屋博古館東京のリニューアルオープン展で本作を拝見しており、鏡面に施された柔和な鏨(たがね)彫りにたいへん感銘を受けていたので、これには驚いた。
 さらに今回は行灯ケースに陳列され、裏面も鑑賞可能とされていた。『聆涛閣集古帖』では表裏ともども採拓されているため、このような展示手法がとられているのだ。
 鏡背には、唐鏡に倣って密度の高い文様が鋳出されている。鏡面の、やわらかな和様の線とは好対照である。
 出土地と判明した山陰の霊峰・大山(だいせん)の、裾の広いおおらかな山容を思い浮かべながら、堪能。

 この他にも、展覧会へ向けた調査の成果が存分に披露されていた。

 考古遺物の紹介が続いてしまったが、『聆涛閣集古帖』に掲載されたモノ=吉田家の興味の対象は、非常に多岐にわたる。
 古文書に絵画、扁額、武器・武具、楽器、さらには印章、尺(物差し)、巻子を巻きとる題箋軸など……

 古文書のうち、貴重なものは手鑑の形式にまとめられていたが、売却時に解体。バラの状態で、諸家に分蔵されている。所在不明のものも多い。

 本展をきっかけにして、『聆涛閣集古帖』所載の資料や、手鑑に貼られていた古文書類の現在の行方は、さらに詳しく明らかになっていくことだろう。
 「わかる」とはとても楽しいことだけれど、「わからない」ということもまた、その先に可能性を秘めているゆえに楽しいのだ——そんなことを、本展は改めて教えてくれた。


 ※本展では他にも、吉田家当主・吉田道可の商人や茶人としての側面、松平定信による『集古十種』編纂にあたっての吉田家の熱心な協力ぶり、松浦武四郎との交友などについても紹介されていた。
 個人的に気になっているのは、吉田家が古器物の類を「見立て」て、茶事に取り入れるようなことがあったかどうか。近代の数寄者や大和の茶人のしたことを、近世の好古家もしていたとしたらおもしろい。

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