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生誕110年記念 松本竣介デッサン50:3 /大川美術館

承前) 

 大川美術館の建物は、「水道山」という丘陵の斜面を利用した構造になっている。
 道路に面する最上階から入り、そこから下へ下へ、5階分の小部屋をまわっていく。ユニークな順路だ。

斜面の下から。中央の白い箱が大川美術館

 迷路にも似たこのつくりは、もともと銀行の社員寮だったことに由来する。リノベーションは、建築家の松本莞さん。松本竣介の愛息である。

 ※幼いころの莞さん。

「ようこそ、いらっしゃいました」

 正確な文言は忘れてしまったが、おおむねこのようなひと言からはじまる挨拶文のパネルが、展示室のいちばん最初に掲げられていた。
 この美術館のこと。デッサン展のこと。その前後に挟まれる常設展示や特集展示のこと……章解説とは異なる、館全体に関するごあいさつ。これから各部屋で、どんなコンセプトの展示が観られるのか、平易な文章で綴られていた。
 美術館で、このような形でホスピタリティを感じるのは初めてかもしれない。はるばる桐生までやってきて、よかった。

 小部屋の常設展示では、日本画、竣介の周辺作家、西洋の画家などの作品を展示。
 日本画は、冬やお正月の風物詩を画題としたものが出ていた(本展の開始は1月だった)。竣介との接点は見いだしがたいとはいえ、同時代を生きた大観、松園などの作品が並んだ。
 靉光や麻生三郎ら周辺作家の作品は、改装中(当時)の広島市現代美術館からの寄託品。感染拡大で立ち消えになった両館の共同企画「無辜(むこ)の絵画」展の名残だ。
 ピカソやモディリアーニは、竣介が作品を実見したり、影響を受けたりした作家。本展ではその作品とともに、竣介が書き残した作家評を併記。射抜くような言葉が並び、デッサン展への期待が高まる。

 螺旋階段をくだったところ、デッサン展の入り口手前には、竣介を敬慕するふたりの現代作家・堀越達人さんと堀江栞さんによる小展示が設けられていた。
 このうち堀江さんの作品は、昨年春の神奈川県立近代美術館鎌倉別館「生誕110年 松本竣介」展でも併設。そのとき以来となる作品も多かった。


 デッサン展の会場では、「竣介のアトリエ再見」が併設。
 2018年の大回顧展の際、東京・中井の居室に残された品々を用いてつくられた空間である。このような場で、竣介は絵を描き、本を読み、くつろぎ、考えた。
 なんとなく、このままずっとここにあるような気がしていたけれど、もうすぐ見納めとのこと(※現在は終了)。撮影可能で、今回もバシバシ撮ってしまった。

棚の上に並ぶ同じようなかたちの壺は、近世のお歯黒壺や種壺。よほど好んだのだろう。右端は古墳時代の須恵器平瓶。汽車土瓶もあった
全景。遺品はこのあと、松本家に戻された


 デッサン展は「アトリエ再見」のあったメイン会場から、下の階の小部屋まで続いていた。ふたつある小部屋では、幼い莞さんを描いたデッサンと、晩年の抽象化の傾向がみられる作例を展示。
 最後の部屋で、遺作に近い《建物(青)》を観ながら、もし竣介がもう少しでも生き永らえていたら、どんな展開をみせたのだろうと思った。彼の線は、死の間際まで力強かった。


 ——鑑賞後は、下の階にあるカフェで休憩。
 この美術館でカフェに入るのは、初めて。「竣介ブレンド」のコーヒーを迷わず選択した。展示にも出ていた館蔵の油彩《ニコライ堂の横の道》をイメージした味わいという。
 骨のある苦み。今どき流行りの香り高い風味とはちと違っていて、なるほどたしかに……

庭の緑が映りこんでいる


 ——次の竣介展は、いつになるのだろうな……
 そのように考えるとき、年に一度ほどのペースで竣介展を開催してくれる大川美術館の存在は、とても心強く、ありがたい。

 水道山よ、また会おう。
 再見。

 


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