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センチュリーミュージアムとわたし:2

承前

 センチュリーミュージアムからの連絡が途絶えたのち、わたしは都の西北・早稲田の街に居を移した。ときおりふと「鎌倉での再開館の話は、いったいどうなっただろう?」と、いつとも知れぬセンチュリーコレクションとの再会を想う日々が続いた。

 「センチュリーミュージアム」の名がふたたび世に現れたのは、最後の絵はがきから8年ほど後だったかと思う。
 移転先は、なんと当時わたしが住んでいた早稲田の街。
 正確には早稲田鶴巻町というところで、西早稲田にあった当時の自宅からは歩いて10分強、目と鼻の先の立地であった。

 それからというもの、早稲田のセンチュリーミュージアムにはしばしば足を運んだ。會津八一の博物館や永青文庫、野間記念館と、徒歩圏内には小規模の美術館が多く、もろもろの用事をおサボりしてこれらの展示を気ままにめぐるのは、たいへん爽快な行為であった。
 早稲田のセンチュリーミュージアムはコンクリート打ちっぱなしのコンパクトなビルで、展示室は2フロア。幸か不幸か、他の来館者に出くわすことは皆無で、思うがまま腰を据えて鑑賞することができた。入館時にいただける解説文がぎっしり詰まった厚手のリーフレットも、大いに勉強になったものだ。

 余談だが、ミュージアムの数軒先にあった「松下」という小料理屋が、たいそう丁寧な仕事をする店で、これまたお気に入りだった。ランチセットの鯛の炊き込みご飯を、何度もおかわりした覚えがある。上にちょこんと乗った山椒の葉が香ばしくて……
 誰をお連れしても恥ずかしくない、いい店だった。

 ――そんな「松下」も、そしてセンチュリーミュージアムも、いまはもう早稲田の街にはない。(つづく




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