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ローマ帝国の軍制・街道・水道|文明と、そのカタストロフィのパターンについて調べてみた・スピンオフ

はじめに

みなさん、ごきげんよう。

この週末、私はkoboくんの家にお邪魔して、アナログゲームのテストプレイを行ってきた。だんだんと形になってきたので、またどこかでご報告できればと思う。

さて、本日の記事だが、先々週リリースした記事のスピンオフとして「ローマ帝国の軍制・街道・水道」について取り上げたいと思う。みなさんもご存知の通り、ローマ帝国は圧倒的な軍事力を誇っていたし、それを支えていたのは街道網と水道である。なんなら、未だに使用されているものだって存在する。(先々週リリースした記事のリンクは以下の通り↓)

私自身の経験を少し取り上げさせてもらうと、中学生の時、カエサルの『ガリア戦記』を読んで、ローマに対して興味を持つようになった。その中でも特に惹き付けられたのは、彼らのシステマティックな軍隊と、精緻な建築技術である。

その合理的な考え方と実践に、私は面白さを感じた。その為、本稿においては、私が歴史に興味を持つようになったきっかけである、ローマの文化の一部である軍制、そして帝国を維持し運用するうえで重要だったと考えられる道路・水道というインフラについてご紹介したいと思う。

ローマの軍制

ローマ軍は元来、無給の市民軍であった。しかし、職業軍人としてプロの軍隊へと変容を遂げることにより、ローマ帝国の発展に寄与したと考えられる。ローマ軍の特徴として、百人隊長を中心とした指揮系統、精神的な支柱としての鷲章旗が挙げられることがある。

共和政の後期における、戦乱の中にあって、ローマ軍は一時的で臨時的に召集される防衛軍的役割から、常備軍へと変化した。

騎士階級の出身で政治家であったマリウスは無産市民から志願兵という形態で軍隊を徴募し、軍団を職業軍人によって構成することにより、軍制改革を図った。

彼は、装備の画一化に加え、軍団組織の体系化と、百人隊長[ケントゥリオ]を中心とした指揮系統、精神的な支柱として鷲章旗を制定した。そして、将軍は兵士に直接報酬を支払い、兵士はそれによって将軍に忠誠を誓うようになったと考えられる。

プロの職業軍人で形成される事となったローマ軍団は常備軍として、また、バレアレス人の投石兵、北アフリカで徴募された騎兵、その他同盟都市からの支援兵や、弓兵等の専門性の高い兵種(※補助兵と呼称されていた)をパッケージとして組み込むことにより高い攻撃力を誇った。こうして、ローマ軍団は征服事業の主たる存在、あるいはローマを守る存在として活躍することになった。

ローマ軍は優秀な戦闘部隊であったが、装備や武器によって敵を圧倒していた訳ではなかった。しかし、彼らは自軍の何倍もある敵軍を駆逐することができた。

その理由の一つとして、ナイジェル・ロジャーズ氏は「規律・勇気」を取り上げ、以下のように述べている。

概してローマの武具はシンプルで、短剣、投槍、鎖鎧か板金鎧、すね当て、長方形か楕円形の楯が基本装備だった。数で勝ることの多い北方蛮族に対して、ローマ軍は優れた鎖兜や破壊力のある投射機を有し、技術面で有利だった。しかし何よりもローマの勝利に大きく貢献したのは、彼らの規律と勇気であり、重要なのは彼らがどのようにそれらの武器を使用したかということだった。ローマ人が世に知らしめたのは......勇気、才能であり、彼らの技術力ではなかった。投弓器であれ、投石器であれ、彼らは必要になれば他の民族の武器を自軍の標準装備に加えていった。こうした柔軟な適応力こそが、揺るぎない闘志と敵に断じて屈しない粘り強さとともにローマの真の秘密兵器だった。

ローマの軍団の、①体系だった指揮系統・②装備を画一化した点・③現代の師団のように異なる兵種を組み合わせて軍隊を構成した点、④兵站維持に心血を注ぎ建造物や補給システムを構築した事などは、現代における軍事思想、軍隊の運用に関する戦略と通ずる点が多い。

これは、ローマの軍隊の先進性を表すものであり、ローマの文化が現代に影響を与えた一つの分野であると考える。

"すべての道はローマに通ず"

このセクションの表題は、ラ・フォンテーヌの有名な言葉からの引用である。英国、エジプト、クテシフォン、リスボン……これらローマ帝国の辺境の地からローマに通じていた約15万キロに及ぶ街道のうち、約8万キロは舗装道路であったと言われている。

これには、「生産地と消費地が偏在」しているため、それらを結びつける必要があった点と、帝国各地のニュースをいち早くローマに伝えるための情報網としての役割があったと考えられている。

このような陸路のほかに、海上交易路も必要であった。輸送コストの面から考えた場合、ダンカン・ジョーンズの研究によると(筆者は原著未読。中川良隆「交路からみる古代ローマ」鹿島出版会,2011年による)、「海上:河川:陸上=1 : 4.9 : 28」であり、水上交易路を抑えておくことがローマ帝国の運営に欠かせなかったようだ。さて、これらの水陸の交易路は具体的にはどのように用いられたのであろうか。中川良隆氏は以下のように指摘している。

主食の穀類は、エジプトやカルタゴをはじめとした北アフリカから、大消費地の首都ローマに、年間20万トンも運ばねばならなかった。その3分の2は、アレクサンドリアから2000キロメートルもの長距離外洋帆送で運ばれたのだ。ワインやオリーブ油は、スペインやフランスなどの地中海沿岸地方から。衣服等に使う羊毛は英国やドイツ、綿や麻はエジプトやシリアから。ローマの金持ちを魅了した絹は、陸や海のシルクロードを通って、1万キロメートルも離れた中国から。香料は海路や陸路を通って、アラビア、インドやセイロンから運ばれた。工業製品や水道に不可欠な鉄や鉛等の鉱物は、英国、スペイン等から運んでいた。……現代日本人の1人当たり使用量の3倍を上回る清冽な水を供給していた……都市内配水に、鉛管が使われていた。そのため大量の鉛の輸送が必要であった。

また、最低限の戦力で帝国を維持することが、コストを抑えることに繋がったため、軍団を駐屯させ定置させるのではなく(勿論、戦略上重要な都市には駐屯軍を置いた)、迅速に移動させる必要性があったと考えられる。もし、この道路網がなかった場合、軍団の数は増加し、軍事費は国庫を圧迫したと考えられる。

また、軍隊を移動させる場合、正確な情報が必要となる。それが郵便や駅伝制であったと考えられる。道路網により、正確な情報を取得し、それに従い迅速な行軍を可能としたのが、このローマ街道なのである。

この構想は現代にも通じるものがある。また、現代でも使用されているローマ時代の街道があることに鑑みるならば、このコンセプトの影響の大きさを感じ取ることができる。

ローマと水道

古代ローマの水道に関する技術水準の高さは、ローマ市内に存在する数多くの噴水、カラカラ帝やディオクレティアヌスの浴場、そして長大であるクラウディア水道橋、またセゴビアやポン・デュ・ガール等のかつての属州に点在する水道の遺跡から窺い知ることができるようだ。(私も見てみたい)

ちなみに、現在のローマ市内でも未だに利用されている水道が存在するようだ。その名をヴィルゴ水道という。

ローマ水道は全部で11本、建設されました。古代ローマ人はコンクリートを発明したことでも有名で、非常に高度な建築技術を持っていました。それらは帝国内の領土のあちらこちらに建てた、橋や水道橋などに存分に活かされています。 驚くことに、11本の中の一つ、ヴィルゴ水道は2000年近く経った今でも使えています。
(ローマに来たなら一度は近くで見てみたい、迫力のローマ水道!(公園の行き方最新情報)|地球の歩き方より)

首都ローマは、2世紀には人口100万人規模の都市となっていた。水道の設置には、七つの丘が存在したローマにおいて、その標高差50メートル近くある起伏をどう解決するかという問題が存在していた。しかし、明確な目標と高い技術力により、市内の各所に水を供給した。この水道によって、どのようなメリットがあったと考えられるだろうか。中川良隆氏は、以下のように述べている。

豊かな水量の水道が手近にあれば、人々はそれを使って色々な作業が可能になる。例えば、風呂に噴水、水飲み場、水洗トイレ、水車による脱穀・製粉等である。多くのローマ人の毎日の仕事は、夜明けと共に始まり、昼頃には終わった。そして、午後に開場する総合レジャーセンターともいえる公共浴場に繰り出したのである。彼らは日本人同様に風呂が大好きであった。

水は、道路以上に、人間にとって、そして国家の発展のために必要不可欠なものである。現代においても、水の確保、水道の整備は人々にとって重要な問題である。また、経済活動や社会的活動を営む上で重要であると考えられる。例えば、この日本における水道普及率は97%を超えており、ライフラインとしての役割を果たしている。(厚生労働省HPを参照・引用)

このローマにおける水道の文化、そして水道を含むインフラストラクチャーの整備・都市構想は現代にあっても多大なる影響を与えていると考えられる。

後世への影響はデカかった

今日のヨーロッパの文化にローマの文化と思想が与えた影響は計り知れないといえる。ローマの文化より派生したと考えられるビザンティン文化はロシアや東欧へと影響を与えた。元来ローマの領土であった部分の大半に存在しているイスラーム世界も、間接的ながら文化的恩恵や、影響を受けていると考えられる。

日常生活においてラテン語が使用される機会はなくなったものの、医学や科学、法律学等の現代社会を支える学問分野において活用されている。英単語の、ほぼ半数がラテン語に由来し、イタリア語、スペイン語、フランス語はロマンス諸語と呼ばれラテン語から直接派生した言語であることが示されている。

また、合理的であり、かつ壮大であるローマ法はヨーロッパとアメリカにおける法体系に多大なる影響を与えている。

ナポレオンの帝政にも、ローマの様々な要素が与えたとも言われている。鷲の紋章や、凱旋門、人材登用法等...である。

ローマのコロッセウム、属州の各地に存在する遺跡や水道橋、一種の建造物ともいえる道路を見る人々は、その壮麗さに感動し、その持続可能性に驚嘆の念を感じるのではないだろうか。私は未だヨーロッパに行ったことはないのだが、それらの遺産を、ぜひ人生の中で一度は見てみたいものである。

今回は、ローマ帝国の軍制・道路・水道をカンタンに・総花的に取り上げてみた。しかし、ローマ文化や思想はそれらの点にとどまらず、様々な面で世界に「不滅の影響」を与え、我々の生活の中に、確かに生き続けているのではないかと私は考える。この記事をきっかけに、ローマ帝国に興味を持っていただけると非常に嬉しく思う。

(taro)

<参考文献>
ナイジェル・ロジャーズ[著],田中敦子[訳]「ローマ帝国大図鑑」ガイアブックス,2013年
中川良隆「交路からみる古代ローマ」鹿島出版会,2011年
中川良隆「水道が語る古代ローマ繁栄史」鹿島出版会,2009年


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