見出し画像

DNAという観点から見ればぼくと大谷翔平には0.1%くらいの違いしかないという話

つまり、ぼくの99.9%は大谷翔平であり、大谷翔平の99.9%はぼくなのだ。

打てば46塁打。投げれば9勝。アメリカンリーグでMVPを獲得し、2021年もっとも日米の野球ファンを熱狂させたスター選手だといえるだろう。
 もしもある日突然、地球に野球星の野球星人が現れてアメリカと中国とロシアとEUを消滅させてから、同じ兵器を永田町に照準したまま次のように言ったとしよう。

「おい、のび太! 野球しようぜ!」

 勿論、負けた場合は兵器の発射ボタンが押され、議事堂はホワイトハウスや人民大会堂やクレムリンと同様に光に飲まれて消失する。時の与党は大慌てで大谷翔平をロサンゼルスから招へいしてこの戦いに挑むに違いない。

 しかし、辛勝をつかみ、胸をなでおろしたのももつかの間、彼らは100年後の再戦を予告して自身の惑星に帰ってゆく。

 さて、悪ふざけが過ぎたタイトルと書き出しに思わず読み始めてしまった大谷フォロワーの少年少女たちよ。
残念ながらこれは事実である。いや、野球星人が地球に戦争を仕掛けに来るかは知らないが、少なくともぼくに限らずぼくたちはヒトという一点において大谷翔平であり、大谷翔平はぼくたちなのだ。ついでに橋本環奈もぼくなのだ。今この一文を読んでキモいとつぶやいたそこのキミも橋本環奈であるし、キミが侮辱したのも橋本環奈なのである。

というわけで今回は生物の遺伝、そして適応と進化をテーマにした話をしてみたい。たぶんシリーズにする。

<人間と地球上の生物のDNAの一致率>

ぼくたち人間とそれ以外の生物を分ける要素は何だろうかと考えたことはないだろうか。
小さい頃のぼくの夢は一番はゾイド乗りだった。そして二番目はゴジラ。三番目はメカゴジラになりたかった。
理由はかっこいいからである。当時はもちろんぼくは大人になればゾイド乗りになれると信じていたし、ゴジラになれると思っていたし、陸上自衛隊と三菱重工はメカゴジラを建造中であると疑っていなかった。

さて、ぼく(たち人間)とゴジラには共通点がある。直立二足歩行であり、作品によっては道具を用い、他の生物との連携を行うなど戦術の概念示唆するほど明晰な知能がある。幼体とコミュニケーションをとる様子から音声や身体運動による言語も存在するのかもしれない。

ゴジラはもちろん架空の生命体であり、中島春雄が入っているので正真正銘人間であるのだが、わざわざフィクションの生き物を引き合いに出さずとも、地球上には人間の近縁種がおり、それらの存在はすなわちぼくたちが土くれから高次元存在によってデザインされたという空想を残酷にも空想であると証明しているらしい。

・そもそもDNAってなんだよ
ほんとにそう思う。なんか社会常識のようにDNAとか言い出すすっとこどっこいがいるが(お前のことだと?はて?知らんな)、もちろん野球チームではないので大谷とかゴジラとかの話からは一旦離れて学生時代を思い出してほしい。……おやおやなんだって、中高の生物の知識は初恋の敗北とともに汚いティッシュにくるんで捨て去ったのか。そう。キミがその時捨てたチリ紙には、様々なキミという存在を構成する設計情報が集積されていた。簡単に言えばこれがDNA(デオキシリボ核酸)である。

ヒトは30億個ほどの分子のつがい(塩基対)が連なり、これがそれぞれ二万個程度の遺伝子を記録している。
DNAは遺伝子を記録しておくための物質であり、染色体として細胞に格納されている。そして、ある生物を完成させるこの全塩基配列をゲノムと呼んでいる。

DNA…遺伝子を記録する言語・文字
遺伝子…遺伝情報を構成するためのDNAの単語・文字列
染色体…DNAで書き上げられた一巻のレシピ
ゲノム……DNAで書き上げられたレシピ全巻(人間は46冊)、その生物が持つすべての遺伝情報

ヒトにはヒトのゲノムがあり、ゴジラにはゴジラのゲノムがある。人間は巻数が全部で46冊だが、生物によってはショウジョウバエは8冊、馬は64冊のように全体の巻数はそれぞれに異なる。
そして大切なのは、このレシピは意味を持つ記述とそうでない記述、かつては意味があったが、もうなくなった記述。これから意味を獲得してゆく可能性のある記述があり、ぼくたち生物の表現型(目や肌の色などそれぞれのかたち)に適応的・非適応的な特徴を与え、この中でより多くの子孫を残し、種を拡大するために有利な特徴を持つための設計図を保存している。

このために、生物はそれぞれ異なっているが、これを構成するレシピは驚くほど共通しているようだ。

・人間とチンパンジーと
ヒトのゲノムが解析完了したのは2003年。これによって、チンパンジーとボノボはゴリラやそのほかのサルたちの近縁ではなくむしろ我々に近縁であることが分かった。ゲノムの一致率は96%~98%と言われており、チンパンジーたちと我々の間の共通の祖先から今の形に分かれたという仮説の信ぴょう性はより強力なものとなった。

しかし、ゲノム解析でヒトと近縁と考えられていた種が、(おそらく専門家ではないぼくも含む多くの人にとって予想以上に高い一致率だったことを加味しても)実際に近縁だったとわかったことよりも、これによって一見近縁には見えない種とのDNA的な一致率を比較できるようになったことも興味深い。

ヒトと類人猿のようなダーウィンがガラパゴス諸島を訪問する以前から学者たちの間で近縁種と想定されていた近縁種ではなく、身体的な特徴としてはあまり共通性のない種もDNA的に見れば人とほとんど同様らしい。
例えば猫は90%、犬は94%が遺伝子的に人間と共通である。あるいはネズミは85%(タンパク質を構成する遺伝コード、それ以外の遺伝コードについていえば50%)もある。これは8500万年前、中生代後半の恐竜の時代に、ネズミたちとぼくたちが共通の祖先をもっていたことに起因するためと言われている(人類の誕生はおよそ600万年前、それよりももっと昔の祖先だ)

他にも、植物(植物は同一種の中でも染色体本数に差異があるなど変動幅が比較的あるのだが)ではなんとバナナは50%~60%が遺伝子的にぼくたちと共通だという。なるほど、人類の半分にバナナがぶら下がっているのは遺伝子的な背景があったかららしい。似てるわけだ。
あるいは、ショウジョウバエはなんと60%もの共通性がある。昆虫と人間とではフィジカル的に大きく異なるが、生命維持に関わるような身体機能(呼吸など)は共通しており、これが遺伝子的に反映されているのだ。

<大谷翔平とぼくを分つもの>

正直に告白するとぼくは大谷翔平ではない。大谷翔平がこの記事を書いていると思ってここまで読んでくれた人には非常に恐縮であるのだが、ぼくはバットを振っては敵捕手の命を奪いかけ、ボールを投げては敵打者を再起不能にしかねないほど野球の技術が粗暴な別人である。
 そしてこの事実はDNA的にはほとんど違いのないはずのぼくと大谷翔平、もっといえばぼくたちとチンパンジーなど類人猿がなぜこうも異なるのかという疑問となる。これはひとえに、遺伝によって決められた構成が全てその通りの結果として帰結し得るのかという問いかけにそのまま換言できるだろう。もちろんぼくの答えは否である。
 考えてもみて欲しい。学生時代、ろくに勉強もせず前の席の女の子のうなじばかり眺めてぼけっと過ごしていたぼくたちと、一分一秒の暇を惜しんでトレーニングに励んでいた大谷翔平とがDNA的には99.9%同一であっても、結果として実際にはまるで生物としての格が異なるような間隙を認めることに異議はないはずである。

 これと同様に、例えば数%の設計上の誤差によって、チンパンジーが喉頭の位置が高く、発声が言語と言えるほど複雑な意味を結ばず、ヒトほどのコミュニケーション能力を発達させられなかったことは時間を経れば経るほどに大きな差としてぼくたちの種を分けたに違いない。反対にぼくたちはチンパンジーが梯子をかけ上がるようなスムーズさで木を登りかつ呼吸を一切見出さないほどの身体能力は失ってしまった。

 かつて共通の祖先をもっていたぼくたちはつまり、現在で言うところの大谷翔平とぼくのようなものであり、この同種間の変異(バリエーション)はそれぞれに異なる適応をもたらす。世代を経るごとにより環境にあった、つまりその種の子孫をより多く生み出すに適した特徴の顕化とそうでない特徴の潜化が加速してきた結果が猿とヒトなのである(自然選択)。数%の設計上の差異が全く別の結果に出力される所以はここにある。

次回は類人猿とぼくたちの共通の祖先に焦点を当ててゆきたい。

(kobo)

参考

https://www.visualcapitalist.com/comparing-genetic-similarities-of-various-life-forms/

https://www.ted.com/talks/riccardo_sabatini_how_to_read_the_genome_and_build_a_human_being?language=en#t-293660

https://www.businessinsider.com/comparing-genetic-similarity-between-humans-and-other-things-2016-5

https://pixabay.com/photos/dna-3d-biology-genetic-research-5297378/


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?