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RPGのサポート職、特にデバッファーって慣れたプレイヤーじゃないと難しいよねという話-前編

 関東圏で気温30℃を超え、やっと夏が近づいてきたと実感が湧いてくる今日この頃。体育祭を今の時期に開催している学校も少なくないのではなかろうか。30℃を超える中での運動は気をつけなければ、不幸な事故に繋がりかねない。水分補給と適度な休憩を忘れずに存分に楽しんでもらいたいものだ。
 さて、体育祭といえば応援だが、仲間からの声援や期待は自分の力になることも、あるいは重圧として本来の実力を発揮する妨げになったりもするだろう。
 ぼくの出身校の体育祭は運動が得意、不得意に関わらず、各競技に最低出場人員が割り振られており、クラスからそれらへ割り当てを行う必要があった。体育祭の前になるとクラスで話し合いがもたれ足の速い子をリレーのアンカーに充てたり、運動能力が必ずしも勝利に繋がるとは限らない競技へ体を動かすのが不得手な子を配分したりする。
 話し合いの中で自然とそうなって行ったので当時はあまり強く意識していなかったが、クラスのメンバーの運動能力をみんなで共有・分析して確実に勝ちに行ける競技と捨てても良い競技を選別し、クラス全体(クラス対抗だった)が優勝できるように適切な編成を整えていたのだ。
 さて、ここまで長くなったが、掲題の話に進もう。RPGのバフキャラ、デバフキャラの運用の難しさ問題について。これは作る側にとっては強さの理解されにくさとも言い換えられる。運動会において、足の速い子をリレーのアンカーに据えて確実に勝ちを取りに行く=ポイントゲッターは花型ということもあり良く目立つが、配点の低い競技にアサインされた運動の苦手な子たちは(彼らの自意識においても)役に立てていない、あるいは足を引っ張っているように見えがちだ。
 これはそのまま、運動が得意な子=戦士や格闘家などの前衛で敵を倒すロールとして。一方、運動が不得意な子はバファー、デバファーなどの支援職であると言えないだろうか。

そもそものバフとは

 ドラクエのバイキルトやスカラ、ペルソナのタルカジャ、ラクカジャである。つまりバフとは、パーティメンバーの攻撃力や防御力を引き上げ、それぞれのロールの果たすべき仕事をより確実により素早く終えられるようにするための支援能力を持ったキャラを意味する。そのダンジョンに挑むのに適切なレベルを下回っていても支援効果を駆使すれば十分に立ち回れるし、高難易度を前提とした作品ならそもそも無ければ後略できないこともあるだろう。
 だが、あれば助かるが、なくても困らない。そんなバランスのゲームは多く、またそういうゲームを遊んで育った人たちもまた多いため、強さが伝わりにくいのかもしれない。

じゃあ、デバフは?

 これこそが今回のトピックであり、支援能力の強さが控えめな評価の所以であると言ってもいい。デバフとはバフとは反対に味方の強化ではなく敵を弱体化させる能力のことである。ルカニ、ボミエ、タルンダ、ラクンダがこれにあたる。
 さて、問おう。RPGを遊ぶ時、道中の敵との戦闘中、あるいはボスとの戦闘であなたは初ターンにルカニを撃つだろうか。まずは通常攻撃や防御などで様子を見て、硬そうだ、早そうだ、攻撃が痛いとなった時、次に行うのは弱体化ではなく、自己強化ではないだろうか。

理由はいつくかある。

1.支援能力は戦闘を直接決着できる能力ではない。

RPGほか、ビデオゲームでは味方のHPが0になれば敗北、敵のHPが0になれば勝利という条件は普遍ルールとして採用されている場合が多い。いくら攻撃力が高くても、防御力が低くても、体力が0になるまで勝敗は決まらない。支援能力はバフもデバフも戦闘を有利に進めることに寄与しても、戦闘を直接終わらせる能力ではないのだ。

2.デバフ能力は耐性を設定されている場合がある。

支援能力はバフ、デバフがあるが、その中でもバフを重要視する傾向はどのプレイヤーにもあるはずだ。その理由はつまり、貴重なターンを消費しながら特定の敵は能力弱体化の耐性を持つために、それが通用しない場合があるためだろう。であれば、

•敵を通常攻撃する
•敵の防御力が高いようだ

となった場合。敵には弱体化に対して耐性が設定されている可能性を考慮してまずは自己強化をする流れは正しい。そして、だからこそ多くのプレイヤーは特別デバフ能力を評価しないのではないだろうか。


(後編に続く)

(kobo)

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