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番外編 農業と教育とは

子どもの教育と農業について
教育に携わる方のお話しを聞いて思ったこと、感じたことをまとめています。とりとめのないお話しですが、ご興味ある方はお読みいただけたら嬉しいです。

元々教員をされていた方が、子どもの居場所づくりとして畑を運営されており
週に一度の活動日には子どもたちが畑に集まってくる。
土づくりから始まり、野菜のお世話や草取り、工作など行っている。
最初は、全く興味を示さなかった子たちが
野菜や土が生き物として捉えられた時に自分事として認識をして
積極的に畑仕事に参加するようになったとか。

今やYouTubeやネットゲームなど目から入る情報があふれており
それがあまりにも刺激的で面白い。
またネットで調べれば何でも分かってしまうから
頭でっかちな子も多いのだとか。
受け身としての楽しみを感じているあまり、
自ら進んで楽しみを見つけることが苦手、できなくなっているそう。
だから学校に行ってもつまらない、家で遊ぶ方が楽しい。
自然と触れ合う機会が減っていたり、公園でも規制が多くなり外で遊ぶと危ない世の中になっている。
それにより、体力がない子どもが増え
世の中が自分に対してのサービスで成り立っていると自然と思っているのか
うまくいかないのは人のせい、大変なのは人のせいにする子が増えているとのことだった。

今の子どもたちに、遊び場を提供しても遊び方が分からない。
だから遊び方を教えてあげることから始めないといけないということ。
畑は自然と触れ合える場所であり、生命の循環や多くのことを体験しながら学べる場所であるとたどり着いたとのお話しであった。

よく、食育と言われているけれど
そこだけ切り取ってしまうとまた違う話になってしまうため
自然から得た学びをどうやって実生活に繋げていけるかが大切とのこと。
考える力、調べる力、発見、アイデアを生み出す場所として
子どもたちと畑仕事に取り組まれている。

私が言うと上から目線の物言いになってしまうのだが
その方の感性がとても素晴らしく
生命の神秘性、植物の構造の面白さなどを語ってくださった。
今や当たり前のように思っていたことが
違う視点から見ると、そんな発見があったのか、そこを美しく感じるのかと驚いた。
というよりも、自分自身の感性が失われているのだと深く反省をした。


私自身、子どもたちと密接に関わる時間が少なく
このような問題が起きているとは、どこか遠くのお話しとさえ思っていたほどで
現場の方から生の声を聞くと身震いがした。

私も農業の面白さを伝えたい、子どもたちに食の大切さを伝えていきたいと
言っているわりには、
口先だけで中身が伴っていないことに気が付いた。
ただ、体験する場所を提供するだけでは、誰でもやっていることと変わりなく
もっと突き詰めて、主体的に参加してもらうこと
学びや発見を持ち帰ってもらえるような場にしていかなければいけないのではないか。

技術を教えることも役割の一つではあるかもしれないけれど
それはもしかしたら一方的な押し付けかもしれない。
自己満足にすぎないかもしれない。
こびと農園でも、保育園や小学校の体験の受け入れや
不登校の子どもたちの支援、農業体験の開催などを積極的に行っている。
今一度取り組み内容を見直さなくてはいけないと考えさせられた。

農業即ち自然の体験は多くの学び場になるということ。
食べる、学ぶ体験だけではなく
心の成長にも大きく寄与していくのであろう。
本当に多くの人により楽しく知ってもらうためには
より当事者目線で考えていく必要があるのかもしれない。


最後に
子どもの居場所づくりを運営されている方のお話し。
この取り組みをするにあたり、やはり農地の確保、場所の確保が課題とおっしゃっていた。
場所の提供や一緒に取り組むなど理解を示してくださる農家さんが少ないことや
法律の壁、ビジネスとしてかたちをつくるにはどうしたらいいのか。
モデルケースとしてかたちができれば全国に広がっていってほしいとの願いがあり今はかたちづくりを模索されているとのことだった。

本来このような教育の機会を得る場において、そもそも収益性が発生することで
教育の格差が広がってしまうのではないか。
誰でもどんな人でも同じように学ぶ機会があることに意味があるのではないだろうか。
素敵な取り組みであるからこそ、多くの人に届いてほしいと切に願う。


今、様々なジレンマに悩まされている私にとってとてもタイムリーな内容でした。
次回、今抱えているもやもやのお話しをしていきます。


つづく