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自分の価値

今春、引越と2人の子どもの卒園・入学、入園を経験した。
目まぐるしい日々で、不安で寝られない夜もあった。
だがそれら全てが終わり、子どもたちは子どもたちで、それぞれの生活を送り、それぞれの世界で毎日を過ごしている。たくましいなあ、頼もしくなったなあと思うと同時に、いつまでも新生活に馴染めず、なんだかふわふわとした日々を送る自分を不甲斐なく感じている。
そして、ひょっとして、ここに私の存在する意味はないのでは?自分の価値はないのでは?とさえ思えてきた。
そんなの自分のペースでいいのよ、と声をかけてくれる友人。休みながらやればいいんだよ、と背中を押してくれる実家の母。ありがたい限りである。だが、しかし、である。
こうなのよ、ああなのよ、こんなことがあったのよ、あの人にあんなふうに言われて、と毎日毎日救いのLINEを、電話を、して誰かに助けを求めてばかりいては一向に前に進まない。先方だって忙しいし、こちらもそのことばかりに時間を取られてはいられないからである。
そう思いながら、過ごしていたある日、心がポキっと折れてしまった。シンクにたまる食器。洗濯機が洗っただけの洗濯物。まだこなせていない、家族から頼まれた用事。敷きっぱなしの布団。
ただ、そんな中でも、子どもたちを送り出すことだけはできた。そうしないと昼ご飯を出したりおやつを出したり遊び相手になったりと、やらないといけないことが倍以上に増えるからである。学校様様、園様様である。
最初は心の面だけであった変化が、身体にも表れてきた。夜寝ていると急に咳が止まらなくなった。同じ部屋に寝ている子どもたちにうつっては大変だとひとり寝室から這い出し、リビングで様子を見る。薄暗い中、吸入薬と抗アレルギー薬、漢方まで飲むけれど、一向に止まらず、絶望的な気持ちになる。このまま呼吸困難で死ぬのではないか。そう思ったら動悸が止まらなくなった。これではいけないと、布団も引きずり出し、別室で休む日が続いた。
頭痛も出てくる。眠れていないからである。
ある夜、急に熱が出た。発熱以外症状が何もない。熱だけが出るということ自体ここ数年なかったので、本当にびっくりした。
もうボロボロであった。でも、どうしていいのか全然わからなかった。誰かに相談するということさえも考えられなかった。苦しかった。自分の価値なんて、本当にゼロだと思った。むしろマイナスだろうと思った。マイナスなんだから消えてしまいたいとも思った。

そこからどうやって、こうして書けるようにまで回復できたのか、少し記憶があやしい。咳が止まるようになって、眠れるようになって、というのを繰り返して体を回復させた気がする。体が楽になってきて、少しずつやるべきことができて、前に進めた気がする。

私は、ある時から「自分と関わった人が『ああ〇〇(私)と出会えて、関わることができて良かったな』と思ってもらえたらいいな」と漠然と思うようになった。それは長い期間関わる人に対しても、一瞬どこかで会う人に対しても、である。
でも、そんな考えはおこがましいし、自分勝手だし、承認欲求の塊だと思った。それは関わった相手が決めることであり、こういうふうに思って欲しい・感じて欲しい、などと望むことがエゴである。
ただやはり、自分と関わったからには、何らかのプラスを相手が得て欲しいという思いは変わらない。
そんなことができるのか。書くことでそれがなされるのか。
これは私が私の価値を見つける旅であり、その旅はこれから始まっていく。

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#創作大賞2023 #オールカテゴリ部門

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