もしも御簾の中をのぞいてしまったのならそれはこちらのミス

もう何年も前の事になるけれどある作家がテレビに出た時に「案外普通のおっちゃんだね」と母が言った。そりゃそうなんだけれど言わんとする事は分かる。

僕には好きな作家がいる。その人は僕たちの身の回りにもある言葉を作ってその人にしか作れない文章を書く。そんな素敵な文章で構成された世界はありふれた日常のようで少し不思議な世界だ。

少しややこしいことを言うけれど僕は"彼(作家)"が好きなわけではなく"彼が作る作品"が好きなのだ。逆に言えば彼自身のことに関してはほとんど興味がない。

僕は"作家"という存在を勝手に神格化している節がある。できれば和服を着ていて欲しいし旅館に篭って頭を抱えながら執筆していてほしい。ボツになった原稿用紙を丸めてその辺に捨ててくれたらなお嬉しい。走ったりしてほしくないし、セルフレジもQR決済も使ってほしくない。原稿の締め切りや編集者に追われながらも飄々としていてほしい。サザエさんの伊佐坂先生のように。

ところがきっと現実は思ったよりも僕たちの生活に近いはずだ。ゴミ出しの日の朝はバタバタするだろうし、SNSを見てうっかり無駄な時間を過ごしたりもするはずだ。移動中はAirPodsを使っていたりするかもしれない。

だから僕はどんなに面白い作品に出会ったとしてもその作家については知りたくない。顔写真も見たくない。

作家は我々一般人の前に簡単に姿を見せていいような存在ではないのだ。作品という御簾(昔のエラい人が座っているところにある簾のような暖簾のようなアレ。味集中カウンターにあるやつ。)を通して我々一般の人々に存在を示しているのだ。

もしこの先作家の顔写真を見てしまうような事があるとすればそれは僕が御簾から作家を引きずり出してしまったことになる。なんとも恐れ多い。これからもそんなミスを犯さないように心がけたい。(まさかのダジャレオチ。)


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