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ライフワークを生きる私たち 第1回:ファッションデザイナー/コスチュームデザイナーYUMIKA MORI 後編「この社会で生きる人はみんなアーティスト」

自分らしい生き方を持つ人を取材していく連載、「ライフワークを生きる私たち」。

第1回で取り上げるのは、現在ロンドンに留学中のファッションデザイナー/コスチュームデザイナーのYUMIKA MORIさんです。前編では、ロンドン留学についてを中心にお聞きしました。後編は、彼女が教員から服飾業に転身した経緯と、ものづくりのルーツ、そして今後の展望についてを語ってもらいます。

前編はこちら:ロンドンに来て「こうしなきゃ」にハマれないストレスから解放された

先生もファッションも、1本の線で繋がっている

ー教員として学校に就職した後にファッションデザイナーに転身したのは、どんな気持ちの変化があったか教えてくれる?

YUMIKA:だいたい就職面接の時に「変わった経歴だね」って言われる。まず、1番人に納得してもらいやすい回答を言うね。『親が教員だったから、親の方針で教員になれって育てられたけど、自分の夢であったファッションを改めてやりたいなと思って転職しました』

ーそれがテンプレートなんだ(笑)実際は違うの?

YUMIKA:実際は、先生もファッションも私の中では繋がってて、ビッグジャンプしたつもりじゃないんだ。

国語の教員をしてたんだけど、もともと国語は好きなんだよね。昔から本を読んでたし、文学作品が好きだから。好きなものを子どもに教えられて、楽しみを共有できるってすごくいいじゃない?

ーそうだよね。ゆみかが先生をしてる時、楽しそうだなーって思った記憶あるよ。みんなに説明してるような、親の方針で仕方なくって感じでもなかったよね。

YUMIKA:学生たちはみんな青春してて、ピュアでキラキラしてたなぁ。人が成長していくのを見れるのは、めちゃめちゃいい仕事だなって思うよ。それでね、今、ロンドンでもまた先生をしてるんだよ。

ーえー!なんの先生?

YUMIKA:ロンドンの日本人学校で、国語の臨時教員をしてるの。正規の先生のお休みとか、欠員が出た時だけね。

ー日本人の子どもたちを教えてるんだ?

YUMIKA:そうそう、ロンドンに住んでいる子どもたちが、もし将来日本に戻った時に日本の学校についていけるようにとか、日本で仕事につけるようにね。

ーやってきたこと全部、今に繋がってるんだね。

YUMIKA:国語は元々好きだったし、演劇も好きで、ファッションも好きだった。だから大学では文学部で演劇学を勉強してて。

ーそれで、演劇の衣装をやって、ファッションの勉強をして、先生もして……好きなこと全部できてるんだねぇ。

初めて作った服は、大好きなバンドのライブに行くためのワンピース

YUMIKA:ななこもそうだけどさ、なんで私たち、文学とか芸術に惹かれるんだろうねぇ。

ー家に本があって、勝手に読める環境で育ったのが大きいな。あと母は映画が好きで。田舎で娯楽もないし家も貧しかったから、TSUTAYAでビデオを借りるのが毎週の楽しみだった。

YUMIKA:私も田舎育ちだから、たまに行く図書館がめっちゃ娯楽だったかも。テレビや音楽からも影響を受けてる。中学の時にヴィジュアル系にハマって、それがファッションにハマるきっかけかな。あと、漫画のNANAをめっちゃ読んでた!

ーNANAのファッションが好きだった?

YUMIKA:うん。NANAの登場人物に、ロリータファッションの女の子がいたじゃない。

ー美里ちゃんでしょ。

YUMIKA:好きだったなぁ。シンちゃんも大好きだった。

ーそういえば、ゆみかは大学で出会った時にロリータファッションをしてたね。

YUMIKA:そうそう。最初は買えないから、作ってた。

ー田舎で売ってないしね、そういう服は。作ってたのは、高校の時?中学から?

YUMIKA:中学2年の時には、服を作ってたな。

ーすご!

YUMIKA:でも、みんなそれくらいの歳で、おしゃれに目覚めない?

ーそうだけど、作ってはなかったかな。

YUMIKA:L'Arc〜en〜Cielのライブに行くために、初めて服を作ったの。ゴスだった。黒と白のワンピースで、ノースリーブにフリフリのミニスカート。それもめっちゃ恥ずかしいからさ、ライブ会場のトイレでさっと着替えて。ライブ観て、終わったらサッて着替えて帰って。作るのには何日もかかったけど、着るのは数時間だったな。

ーそれはルーツだね。

YUMIKA:そうだね。衣装の活動と繋がってるかも。今も、ああいうゴテゴテした服も好き。ゴスとか、パンクとか。

ー普通のファッションビル歩いてても、あんまり売ってないような服ね。

YUMIKA:悪趣味を極めたような(笑)

ーゴスもパンクも、ただの服じゃなくて、着る人のスタイルを表現する衣装だよね。

YUMIKA:そう。それこそ地元にいた頃から、世の中に対してずっと反骨精神があった。その時は、セブンティーンって雑誌が流行ってて、セブンティーンに載ってるような服に反抗してゴスロリを着てたとこもある。ずっとあるな、世間に反発したいっていうのが。

ー子どもの頃から?

YUMIKA:あったかも。親が買ってくる服はイヤとか、ディズニーを与えられても「ディズニーなんて見ねぇよ!」みたいなのが。実家を建て替える時にも横から「ダサい!」って意見して。超わがままでしょ?好き嫌いがはっきりしてたと思う。

服飾の勉強をしたいとは、言い出せなかった



ー中高生の時には服作りをしてたのに、大学では演劇学を専攻してるよね?この選択はどういう流れで?

YUMIKA:高校生の時、国語の成績しか良くなくて。芸術系には興味があったけど、いかんせん進学校だったから、完全に洗脳されてた。いい大学に行って、いい職につかなきゃって思ってたから、受験勉強以外の選択がなかった。

東京藝術大学は大学院に服飾も勉強できるデザイン科があって、多摩美術大学にはテキスタイル専攻があるんだけど、大学で服飾を勉強したいとは、言い出せなかったな。その時の自分の中に、職業差別もあったと思う。「いい職業につかなきゃ」って中に、服飾の仕事が入ってなかった。だから教職免許の取れる大学で、少しは興味あることを勉強できてって考えで大学を選んでた。

ー学校で演劇学を勉強しても、就職は国語の教員ってところは変わらなかった?

YUMIKA:うん。でも、大学時代にも舞台の衣装はずっとやってたけどね。

ー演劇を勉強して、衣装やファッションに活きてる部分はあるの?

YUMIKA:あるある。1番は、動きかな?舞台でどう動くと服がどう見えるか、舞台をたくさん見てきたから、ある程度はイメージできてる。

ー1つの舞台作品の衣装を担当すると、複数のキャラクターの衣装を作るわけでしょ?

YUMIKA:そう。台本読んで、セリフから「どんな人物なんだろ」って想像して衣装を作るのは面白いよ。私は元々は役者もやりたかったし、表現したい欲が強いの。その中で、服を使った表現が1番しっくりきたんだよね。ななこも一緒なんじゃない?

ー私は映画が作りたかったな。自主制作の映像作りに携わった末に、やっぱり書くことが1番しっくりきた。でもね、高校時代は書く人になんかなれない、何者にもなれないって気持ちが強かったんだよね。

YUMIKA:私も、地元にいた時はあったよ。そういう感覚は。

ー東京に来てなぜか、なんでもやってみれる気がしたの。

YUMIKA:わかる。大学の学部には、色々やってる人がいたからね。子役やってた子とか、既に商業の舞台に携わって働いてた子とか。

ー周りの環境は大きいよね。

最終的な目標は「形がないもの」を作ること
目標に対して1番使いやすい武器が「服」だった

ゆみかは、演劇の衣装は今後も続けていく予定?

YUMIKA:うん、好きだからずっと続けたいなと思ってる。私は昔、スズキタカユキってブランドでインターンしてたのね。スズキタカユキさんは舞台の衣装もやってるから、ブランドやりながら舞台の衣装をやれるってイメージはある。ブランドも舞台の衣装もやることで、相互に良い作用がありそうな感じがしてる。

ー私から見てると、演劇の衣装はゆみかの軸なのかなって気がしてる。好きなもの全部に携われるところじゃない?演劇とファッションと。

YUMIKA:文学も入ってるし、音楽も入ってるし。確かにそうかもね。

ーライフワークってお金関係なく「生き方」っていう意味で捉えてるんだ。そういう意味で、ゆみかは自分が何を軸に生きてるって思ってる?

YUMIKA:服って形があるものだけど、私の最終目標は「形がないもの」を作ることなんだ。ムーブメントだったり、演劇で見る一瞬の素敵な場面だったり、そういうものを作れたらいいな。

洋服は、私の最も出力しやすい方法なだけ。私が服を作ることで、時代のちょっとした変化に携われたら1番嬉しい。自分の作ったものが世の中にインパクトを与えられたら、絶対に楽しいだろうな。

そういう最終目標に対して、1番自分が使いやすい武器が、服なの。私は表立って暴れるような陽キャじゃないからさ(笑)陰キャだけど服を武器にして反逆してやろうって思ってる。私はちっちゃい存在じゃないんだぞー!って。

ーファッションならできそうだよね。作る服にメッセージを込められるし。

YUMIKA:ファッションにはひとりひとりの考えが反映されるし、似たような思想のファッションの人が集まると、ムーブメントになるし。面白いよね。

この社会で生きる人はみんなアーティスト
その人たちに、ハレの場で着て欲しい

YUMIKA MORI 試作品パンツ

ー長期的な目標は置いといて、近い未来では今後どうしていくプランなの?

YUMIKA:今までの人生で培ったものをファッションで出して、それで生きていきたい。あと、人脈も広げたい。

業界に限らず、面白い人いっぱいいるだろうし。今はファッション業に専念してるから、限られた人間関係になってる。でも、例えば、自分でビジネスやってる人とも話してみたいなぁ。常に面白いことを探してる!

ーゆみかも自分のブランドを立ち上げて、ビジネスしようとしてるもんね。早くYUMIKA MORIの服が買えないか待ってるんだけど、実現しそう?

YUMIKA:自分のブランドの服に関しては、今ちょうど1着目の商品化に向けて動いてるところ。友だちのパタンナーさんにパターンを起こすのをお願いして、今週中には工場さんと打ち合わせをするんだ。

元々、ブランドを立ち上げるために、日本で事業資金を借りてたの。友人にアドバイスをもらって、事業計画書を書いて出して、低い金利で貸してもらえて。やっとそのお金が有効に使えそう。

まだ1つだけだけど、服を生産するのは結構お金がかかるから。資金繰りに関しても、かなり考えないと。実際に自分でやってみないとわからないことだらけだね。どうマーケティングするかも、悩んでる。

でも、自分の中で納得がいった感じが、今回やっと来たんだよね!これは可愛いんじゃないかなって。

ー写真を見たけど、すごく可愛かった。ゆみかのブランドが立ち上がったわけだね。ブランドコンセプトはあるの?

YUMIKA:「アーティストへ届けたい」かな。

このコンセプトは、ミュージシャンに着て欲しいとか、そういうことじゃなくってね。人はみんなそれぞれ、社会の役割を演じてるじゃない?だから、私は社会で生きるみんながアーティストだって思ってるんだ。

で、その人たちに、ハレの場、自分をよく見せたい場、ここぞって場に私の服を着て行ってほしい。

ー生活の中で着る、衣装ってことだよね?日々の暮らしの中で人々が演じる役に、着る衣装を提供して、演出するってイメージかな。

YUMIKA:そうかも!自分がやってることを「演出」とは意識してなかったけど、まさにそうだね。

ーゆみかはゴスとかロリータが原点だったのに、作ってる服はすごくナチュラルだよね。演劇の衣装も、YUMIKA MORIで出そうとしてるパンツも。それが、ちょっと面白いなって思ったよ。

YUMIKA:もともと働いてたブランドのテイストがナチュラル系で、天然素材が私のフィールドなの。作りは上品でキレイ目にも着られるような服をと思ってる。ナチュラル系でデザイン物……そこを狙おうかなと考えたの。

ー特別感はありつつ、ユニセックスで自然で楽だっていうのは、私のマインドにもしっくりきてるよ。だから、普通に買って早く着たいな。

YUMIKA:ハレの場で着てほしいな。受賞会見とか!

ー受賞かー。受賞したいなぁ(笑)私も頑張らないと。もし晴れ舞台に立てたなら、その時はYUMIKA MORIを着ます。

YUMIKA:楽しみにしてるね。私も服の数を少しずつ増やしていく予定だから、楽しみにしてて。

インタビュー前編はこちらです。
ぜひ併せてお読みください!

YUMIKA MORI
1990年三重県生まれ。明治大学にて演劇を学んだ後、文化服装学院/coconogacco/International School of Creative Arts(based London)にて服飾およびデザインを学ぶ。学生の頃より、演劇へ衣装提供やオリジナル商品をハンドメイドで制作・販売。コレクションブランドでのインターンシップや、複数のアパレル企業にて企画・営業として実務経験を積む。2023年現在、イギリス・ロンドンにあるKingston University BA Fashion に在学中。
ロンドン式デザインメソッドをベースにし、独自のコンセプチュアルかつ天然素材をメインにした動きのあるイメージのデザインが特徴。
自身のブランドYUMIKA MORIの第一弾商品の販売へ向けても活動している。
YUMIKA MORIのサイト

こばやし ななこ
1990年鳥取生まれ。明治大学にて演劇を学んだ後、スマホゲームのディレクターになりストーリー作りの基礎を学ぶ。退職後はフリーランスのライターになる。シナリオセンターにて脚本を勉強し、現在はライター活動の傍ら脚本執筆も行っている。創作テレビドラマ大賞最終選考。ただの映画好き。まぁまぁ自由に生きている人。

編集後記

前編のインタビューを読んでくれた知人から「この子は私には眩しすぎて、コンプレックスを刺激されちゃった」と言われた。「私は安定を選んできて、やりたいことを追いかけるなんて怖くてできないから、すごく遠い眩しい人に見える」と。

確かにポジティブな話題ばかり掘りすぎたかもなぁと思う一方、知人の発言に目から鱗ではあった。なにせその知人は、安定的に仕事を続け、ある程度の地位と収入を手にし、結婚して家庭も持っている。私からしたら、彼女は私がどうしても手に入れられなかったものを全て手に入れているように見えるから。

好きな仕事でご飯を食べている代わりに、生活できているというレベルでしか生活できていない私は、社会からドロップアウトしてしまったという意識が強い。世間に要求される社会人の姿から降りずに地道に生きている人が、私には眩しい。彼らと自分を比べては、惨めになる日もある。でも、比べたって仕方ないのだ。会社員でいることが苦しくてたまらなかったわけだし、快適な暮らしを求めて行った末に辿り着いたのが今。今が最善なのだと思いたい。そんな時、ゆみかのような友人の姿を見ると、私もここでがんばろう。大丈夫。一人じゃない。そんなふうに思える。彼女のようにパワフルではないが、彼女が彼女のやり方で歩んでいるように、私も私のやり方でいいじゃないかと思えるのだ。

ゆみかが「眩しい」と言われるのは、時代の変化もあるんだろう。失礼を承知で言うが、出会った頃のゆみかは「眩しい」ではなく「浮いている」という言葉の方が似合っていた気がする。私とゆみかが出会って仲良くなったきっかけは、2人とも乙女のカリスマと称された作家・嶽本野ばらが好きだったからだ。

野ばら氏が書く小説には、ロリータファッションに身を包む少女が登場する。少女たちは生き方への強い哲学やポリシーを持つが故に「普通」から浮いてしまっている。誰とも分かり合えない孤高の彼女たちが、同じく哲学を持つ素敵な人と出会い、強く結びついたり、結びつけなかったりする話が多い。ゆみかはロリータで、その頃まだ一般的には理解されていなかったBL漫画が好きで、(私は得意分野じゃなかったからよくわからないけれど)アニメやゲームのオタクでもあったようだ。

彼女が教えくれるカルチャーはちょっと刺激が強くて、いつもドキドキした。BL漫画に初めて触れたのは彼女が貸してくれた中村明日美子の作品だったし、彼女の家で初めてロリータファッションに袖を通した。ゆみかが「美形の男の子がたくさん出てくるから!」と読ませてくれた「ライチ光クラブ」という漫画はグロテスクな描写が多すぎて私には受け付けなかった……はずなのにその話が演劇として上演されるのを見に行くくらいちゃんと琴線に触れていた。

時代は変わったと思う。あの頃は仄暗いイメージだった「オタク文化」は今やメジャー化し、BL作品は実写化されお茶の間で流れるようになり、「普通」から浮いてしまっていた少女は「眩しすぎる」と言われるほどキラキラした女性としてみんなに羨望の眼差しを向けられている。あなたの時代だから、そのまま私の前を、ずっとずっと前を、走り抜けていて。ちょっとそんな気持ちで、後編のインタビューをまとめました。

正直、感想をくれた知人が言う通り、誰もゆみかのようには生きれないとは思う。私ですら思っている。単純に彼女には体力がある。心のエネルギーも強い。

仕事を辞めて好きなことに挑戦!なんて別に無理にすることじゃない。アウトサイダーにならずにいられるなら、それに越したことはない。ただ、少しだけ、今回のインタビューを読んだ人が、自分がしてみたい格好をするとか、そんなことにつながらないかなぁと思っている。

今回のゆみかの話を聞いて、誰もが自分らしさを日常の中に取り入れられるツールとして、ファッションって面白いなと改めて思った。身につけるもので、自分の思想やスタイルを表すことができる。仕事の規定の中だって、あらゆる表現ができる。私個人としては、服を選ぶことと着ることをもうちょっとこだわってみようって思ったインタビューになりました。

終わり。


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