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ライフワークを生きる私たち 第1回ファッションデザイナー/コスチュームデザイナーYUMIKA MORI 前編:ロンドンに来て「こうしなきゃ」にハマれないストレスから解放された
この連載では、自分らしい生き方を持つことを「ライフワークを生きる」と称して、ライフワークを生きる人を取材していきます。第1回は現在ロンドンに留学中のファッションデザイナー/コスチュームデザイナーのYUMIKA MORIさん。
YUMIKAさんは大学を卒業後に学校の教員として働く中、服飾の勉強を開始し、ファッションデザイナーに転身した経歴の持ち主。彼女は私の大学の同級生で、「どのタイミングでもどんな道筋でも、やりたいことはできる!」と思わせてくれる存在です。インタビューの前編では、30代で留学した経緯や、ロンドンで実感していることを聞きました。
聞き手&記事を書いた人:こばやし ななこ(フリーライター)
ロンドン留学は思い切った選択じゃなかった
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ーゆみかは今、ファッションの勉強のためにロンドン留学をしてるんだよね
YUMIKA:うん。
ー私の周りにはワーホリが使えるうちに海外に行こうって人が多かったんだけど、30代になってから興味のあることを勉強しに留学してる人は知らなくて。ロンドンに行った経緯を聞かせてほしいな。迷いとか怖さはなかったの?
YUMIKA:実は、ロンドンへの留学は、思い切って「留学しよう!」みたいな感じではぜんぜんなかったの。いろんな選択肢を試してきた中で「一番いいんじゃないのかな」って、徐々にたどり着いた答えっていうのかな。
ーしかるべきタイミングが来たって感じ?
YUMIKA:うん。私、大学卒業した後に先生をやってたじゃない?その時に、すでにロンドン留学の資料は取り寄せてたんだよね。その時点でイギリスっていうのは自分の中で決まってたんだよなぁ。
ー行きたい学校が、イギリスにあったの?
YUMIKA:学校は具体的にはなかったけど、ファッションをやりたいっていうのは教員時代からずっとあったから、ファッション関連の留学資料と文化服装学院の資料を取り寄せてた。でも、その頃はぜんぜん、海外に行くなんて考えられなくて。資料は集めてみたものの、留学は現実的じゃなかった。
ーそれで、文化服装学院に行くことにしたんだ。
YUMIKA:うん。教員と同時に文化服装で一生懸命ファッションの勉強をしながら、もう1つ、ここのがっこうっていう私塾にも通い始めたのね。
ーさらに?すごいバイタリティ……
YUMIKA:ここのがっこうは、週に1回、3〜4時間だから本当に短い時間だよ。リトゥンアフターワーズってブランドをやっている山縣さん※ってデザイナーの方が開いているファッションの私塾で、出身デザイナーさんたちが活躍してたのを雑誌でよく見てたから「面白いぞ」って思って通い出したの。
で、そこに一緒に通ってたデザイナーさんが、セントラル・セント・マーチンズっていう有名デザイナーをいっぱい輩出しているロンドンの芸術大学に留学経験がある人だったんだ。その人の話を聞いたり、他にも海外に行くための予備校として通ってる人がいたりして、イギリス留学って素敵だなって本格的に思うようになった。
ー周りの環境によって、どんどん留学が身近になっていったんだ?
YUMIKA:でもね、やっぱりお金もかかるし、その時点でもまったく現実的ではなかったよ。
ー実際に留学するのはかなり先だもんね。
YUMIKA:文化服装学院の在学中に教員を辞めて、学校を卒業して、デザイナーとして採用されたのね。で、アパレル企業で働いているデザイナーの先輩たちに、海外への留学経験のある人が多かった。その先輩たちもだいたい30歳を超えてから留学してたんだ。
ー業界的には30代で留学っていうのは珍しいことじゃないんだ?
YUMIKA:そうなんだよね。そもそも、デザイナー職ってブランドを転々とするの。ブランドによって作れる服の基本形は少しずつ違うし、年齢に合ったブランドのテイストもある。いろいろブランドを経験した方が全体的なスキルが身につくっていうか、引き出しが増えるっていうのもあって、転職する人も海外に行く人も多い。
そんな中で、私が勤めてたブランドはヨーロッパのテイストが強かったから、「本物が見たい」って気持ちも生まれてきた。いろんな要素があって、留学に対するハードルが徐々に下がっていったかな。
※山縣良和
1980年鳥取生まれのファッションデザイナー。2005年にイギリス・ロンドンのセントラル・セント・マーチンズ美術大学デザイン学科を卒業。その後、自身のブランド「writtenafterwards(リトゥンアフターワーズ)」を設立した。「ファッションを通して社会に還元できるような創造性を育む事ができる学びの場」として2008年にcoconogacco(ここのがっこう)を設立し、教育者としても活躍している。
コロナ禍で仕事がなくて、勉強できたのがちょうどよかった
ー確か、コロナ期間に留学を決めたよね。
YUMIKA:うん。勤めてたアパレルは、あんまりよくない形で辞めることになって。「いいや、フリーランスになろう!」って思った。そのタイミングでコロナ禍がきちゃった。
ーアパレルは大変だったよね。
YUMIKA:そもそも転職先がないし、フリーになっても仕事がないときに、ちょうど勉強できるって思ったんだ。留学するにはポートフォリオを作らないといけないし、英語の勉強もしなきゃいけないし。だから、ちょうどよかった。
ー就職もうまくいかなったし、フリーになった瞬間コロナで仕事もないし、普通ならネガティブになって落ち込むような状況で「勉強できるじゃん!」って考えるのがすごい。そのアクティブさは、ゆみからしいね。
YUMIKA:確かにねー。私ね、コロナ禍がめちゃくちゃ生きやすかった!
ーえー!そうなんだ!どういう点が生きやすかった?
YUMIKA:都内から電車で1時間半くらいの埼玉県に住んでたんだけど、「他人から強要されるやるべきこと」が何もない状況で、自分で料理作って、DIYして、部屋のレイアウト綺麗にして……そんなことが幸せで(笑)
ーわかるわかる!そういうのが幸せだから、私も在宅フリーランスやってると思う。
YUMIKA:それで、暇だから家で普段は見てなかったニュースや国会中継を見るようになって「日本の政治やべーな」とか、今まで考えてこなかったことも思っちゃったわけ。
あとは「彼氏欲しいな」と思ってマッチングアプリやってみてたけど、あんまりしっくりこないとか……日本がイヤになったっていうのも、外国に行きたい気持ちを後押ししたかも。
あの時、すごいイヤな感じあったじゃない?閉鎖的で、テレビをつけたら「感染者が〜」って話ばっかりで、終いには星野源の歌があって(笑)
ーそういうのあったね
YUMIKA:自分は今ここの世界がイヤだなって思ってるけど、他の世界はどうなんだろうって自分の目で確かめたくなった。
「こうしなきゃいけない」にハマれないことへのストレスから解放された
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ー実際に2022年からイギリスに行って、どうだった?
YUMIKA:結果的には、毎日すごく楽しい。感じてた閉塞感がなくなったかも。
ーそれは、コロナ関係なく感じてた閉塞感?
YUMIKA:うん。まず「会社に行かなきゃいけない」と思ってることから解放されたよね。「こうしなきゃいけない」ってものにハマれないことへのストレスがなくなった。
ーゆみかは「普通はこう」ってものにハマらずに、いつも自分らしく生きてるイメージだったけど、ハマれないって思いがあったんだ!?
YUMIKA:あるある!ハマりたくてもハマれないんだよ。体調が悪くなっちゃうの。
ー周りに無理に合わせようとすると?
YUMIKA:そう。例えば、朝早く起きるとか。できなくもないけど、やるとすごく疲れるんだよね。アパレルは朝は早くないから、その点では自分に合った働き方だった。教員は、朝早い仕事だったからね。
ファッションデザインの面でも、ロンドンに来て縛りから解放された感覚はある。日本で日本向けに販売する服を作ってると、デザインの幅も狭いのね。でも今はその縛りもなくて、自分がデザインするときに全方向を向けてる気がする。いろんなことに対して、縛りがないっていう喜びはあるな。
ーすごくいいね!
YUMIKA:日本ってこの季節にはこの格好を着なきゃいけないっていうの、すごくあるじゃない。例えば、真冬にキャミソールとか着てたら浮くけど、こっちの人はぜんぜん、季節に関係なく好きな格好するし、周りの人もまったく指摘しないんだよね。日本人ほどおしゃれじゃないの。いい服にサンダル履いちゃったりして。日本人って、身だしなみ整えなきゃって意識がすごく強いよね。
ー日本は一般人がすごくおしゃれで驚いたって、海外の人が言ってたの聞いたことある!
YUMIKA:どの季節にどの年齢の人がどんな服を着てもいいし、スカーフはこう巻かなきゃいけないみたいなのもないし、サイズ感が気に入らなければ安全ピン丸出しで後ろで留めてたりするの。日本だとちょっと後ろ指さされそうなことも、変に思わなくなってきたな。
見た目より、いかに自分と他人がハッピーかを重視してる
ー服の概念が、日本とロンドンだと違うのかな?
YUMIKA:そうだね。例えば、ハロウィンで家を飾り付けするとして「立派な家だろ!」って見せるために飾るんじゃなくて、通りすがる人をハッピーにさせたいって考えなの。同じように、自分の機嫌がいいとか心地がいい状態が、他人にとってもハッピーだろうって考えて服を選んでる感じがする。
ーそれは最高!だし、自分が機嫌よく過ごせることが周りの人にとってもいいことだっていうのは、その通りだと思う。
YUMIKA:「見た目」を日本より重視してなくて、いかに自分がハッピーかと他人がハッピーかを重視してると思う。
ーゆみかはそっちが性に合ってる?
YUMIKA:気が楽だね。とにかく気が楽。ただ、日本人の身だしなみを整える文化は、清潔感があっていいと思う。
ー日本との違いも実際に行って肌で感じないと、わからないよね。
YUMIKA:うん。こっちは歴史的な背景から移民の人も多くて。髪の毛も、肌の色も、体の作りも、文化も、いろんな差がありすぎて気にしなくなるかも。日本人の差って小さいから気になるけど、こっちは違いがありすぎて。
10人のうち1人にめっちゃ刺さる服を作りたい
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ーゆみかのブランドであるYUMIKA MORIの服は、日本人向けに作っていくつもり?
YUMIKA:どの国の人とか関係なく、刺さる人に刺さればいいかな。10人のうち1人にめっちゃ刺さる服を作りたいって考えてる。でも、それを日本でやるとマーケットが小さいから、世界にマーケットを広げて刺さる1人を10人、100人に増やせば、商売として成立させられるんじゃないかなと思って。
ーゆみからしい服を作って生活できるようになると1番いいよね。
インタビュー後編はこちら。
YUMIKA MORI
1990年三重県生まれ。明治大学にて演劇を学んだ後、文化服装学院/coconogacco/International School of Creative Arts(based London)にて服飾およびデザインを学ぶ。学生の頃より、演劇へ衣装提供やオリジナル商品をハンドメイドで制作・販売。コレクションブランドでのインターンシップや、複数のアパレル企業にて企画・営業として実務経験を積む。2023年現在、イギリス・ロンドンにあるKingston University BA Fashion に在学中。
ロンドン式デザインメソッドをベースにし、独自のコンセプチュアルかつ天然素材をメインにした動きのあるイメージのデザインが特徴。
自身のブランドYUMIKA MORIの第一弾商品の販売へ向けても活動している。
YUMIKA MORIのサイト
こばやし ななこ
1990年鳥取生まれ。明治大学にて演劇を学んだ後、スマホゲームのディレクターになりストーリー作りの基礎を学ぶ。退職後はフリーランスのライターになる。シナリオセンターにて脚本を勉強し、現在はライター活動の傍ら脚本執筆に取り組む。ただの映画好き。まぁまぁ自由に生きている人。
スキだけでも励みになりますが、もし宜しければサポート頂けたら嬉しいです。明日を生きる糧にします。