わたしたちには価値がある
もうすぐで、私はいろんなものから卒業する。大学、アルバイト、団体、そして学生という肩書き...。最近ようやく実感が沸き始めてきて、なんだか寂しい気持ちになる。
特に、小田原でつくった学生団体「ノンブランド小田原」には強い思い入れがある。自分でつくったから当然だけど。
どうしたら持続可能な団体になるか模索しながらやってきた。例えばミーティングのリマインドとか、日程調整とか、自分でやった方が早いはずの作業でも、あえて人に割り振って一緒にやってきた。ある時はメンバー全員と個人LINEしながら個々の悩みとか、今やるべきこととか、今後どうしていきたいかとか話し合った。
そうやってなんとか来年以降に繋ごうと頑張ってきたけれど、それって私のわがままかもしれないとも思い始めた。私がやりたければ私が続けるべきだし、わざわざ「学生団体」として残すために人に押し付けているかもしれない。それならもう3月でなくなってもいいんじゃないかって。
でもここ最近、何かが変わった気がする。メンバーが自分から日程調整して、ZoomのURL送って、私がいなくても団体が回るようになった。喜ばしいが、寂しくもある(笑)。
そうやって新たに歩み始めていたある日、市役所の方にお時間をいただいたミーティングで、メンバーからこんな言葉が出た。
「私たちがちょっとこれをやったところで、何も意味がないのではないか」
自分がやろうとしたことの卑下による発言である。確かにちょっと何かをやったところで、例えば小田原の、日本の、世界の社会問題が完全に解決することはないだろう。しかしその時、市役所の方はこう言った。
「それは違うと思う。あなたたちがやることで問題を知ってくれる人もいるはず。だから意味がないというのは違う。」
自分がメインでやっているときは、さっきの発言をしたメンバーと同じように、これで何かの意味があるのだろうかとか考えたりしていた。でも最近は、私たちが何かをするだけで意味があるのだと思えてきた。自分で言うのは変かもだけど。笑
そもそも原点を振り返ると、「ノンブランド小田原」は「地元のことを普段から考える若者を増やすため」につくった。VOTE FOR ODAWARAをやったときに、選挙期間だけ騒いだところで何も意味がないと気がついたからだ。
だから「ノンブランド小田原」は、メンバーが小田原でやりたいことを追求して、いろんな人に助けてもらいながら自分たちが楽しいことをやればいいと思う。その中で知らなかった小田原の課題を知るとか、市民との出会いを楽しむとか、市政をチェックしてみるとか、そういう小さな市民としての主体性を育むことが大事なんだ。
メンバーは真面目だから「社会問題をなんとかしなきゃ」とかって思ってる。確かになんとかすべきなんだろうけど、私はメンバーが「ノンブランド小田原」としてそこに存在して地元について考えているその姿勢こそが、価値があって尊いと思う。市役所の方のように優しく声をかけ、見守って、応援してくれる大人がたくさんいる。何よりの証拠である。
でも最近は(良くも悪くも)「小田原の若者代表」みたいな立ち位置になってきて、不本意なことももしかしたら増えてくるかもしれない。または、自分の人生において大切な時期が来て、活動どころじゃなくなるときが来るかもしれない。そんなときは、無理せず休んだり、団体から離れたり、断ったりすることもとても大切だよ。
一生懸命考えて行動して省察することの大切さは計り知れない。繰り返しになるけど、例え自分の行動が社会になんの影響も及ぼさないように思えたとしても、もうみんなで考えてること自体価値あることなんだから。
「意識高い」ことをしてなくても、そもそも私たちは生きてるだけで偉いんだから、そこにいるだけでいいんだから、自分が楽しいと感じることだけやったらいいと、私は思うよ。
P.S.
この記事のタイトル、最初は「あなたたちには価値がある」でした。自分自身というよりも、純粋にメンバーこそが尊いと思ったからです。でもまずは私から自分たちの存在意義を評価しないと示しがつかないな、と思ったので、照れくさいけど「わたしたちには価値がある」というタイトルにしました。
応援してくださっている方、いつもありがとうございます。そしてメンバー、大好きです。
記事の途中からメンバーへメッセージみたいになってしまいましたが...(笑)
最後までお読みいただきありがとうございました!
今日は友達とお散歩した時の様子をお裾分け😌✨
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色々勉強したいので、是非おすすめの本を併せて教えてください!🙏