5.世界史的に見る東京オリンピックとアフリカ
はじめに
はい、こぼば野史です。
今回は歴史のお話。
昨日は東京オリンピックの開会式でしたね。時間は押してしまいましたが歴史に残る良いものだったのではないでしょうか。
IOCのバッハ会長の話などでもたびたび発言があった「天皇の名の下に」というものは、君主制(天皇制)を採る日本で開催するオリンピックならではの文言でしたね。おそらく、この場合は「君主政」と書いてはいけないのでしょう。そうすると、政治を行っていることになってしまうので。歴史的には君主政=君主制ですが。
ピクトグラムの件、ガーマルチョバが演出している感満載で笑わせていただきました。素晴らしかったのは勿論のこと。
選手入場にて
選手入場の実況、SNS上ではBGMがドラクエやモンハンなどのゲーム音楽が使われている、というので盛り上がっていましたね。
ただ、個人的に耳に残り、盛り上がった実況の言葉がありまして。皆さんは気づいたでしょうか。アフリカ州の国の一部に対して
「〇〇(国名)は1964年の東京オリンピックが初出場でした」
というもの。気づいた人には気づいたのではないでしょうか。これね、ふと歴史的に考えると納得するな、と思ったので少し書こうかな、と。
歴史が好きで、今も学んでいる人間なので、よろしくです。
1964年以前のアフリカ州の国々
なぜ、1964年の東京大会で多くのアフリカ州の国々が初出場をするに至ったのでしょうか。これには歴史が絡んできます。
1964年まで、アフリカには独立国がほとんどありませんでした。
例えば、第二次世界大戦前の独立国は
・エジプト
・エチオピア
・リベリア
・南アフリカ共和国
の4か国、第二次世界大戦後~1959年までの独立国は4か国に加えて
・ガーナ
・ギニア
・スーダン
・チュニジア
・モロッコ
・リビア
の6か国でした。当時は独立国は10か国しかなかったのです。他の地域はというと、所謂欧州の列強諸国(イギリス、イタリア、フランス、ベルギー、ポルトガルなど)に支配されていました。当時はもう植民地という劣悪な支配ではなく、経済的に持ちつ持たれつでいこう、のような感じであったとは思いますが。
しかし、時は米ソ冷戦下、イギリスとフランスの2国は経済的な地位が低下していきます。米ソは自陣営をどうにかしようと躍起になり、イギリスとフランス2国を牽制します。
ここで起こったのが、1954年の「平和五原則」や1955年のアジア=アフリカ会議(バンドン会議)での「平和十原則」。アジアやアフリカ、第二次世界大戦や米ソ冷戦にあまり直接的な関与がなかった国々が第三極(歴史的には「第三世界」)として台頭してきます。アジア=アフリカ会議はネルー(インド)、周恩来(中国)、スカルノ(インドネシア)、ナセル(エジプト)という豪華なメンバーが主導で行いました。
1960年 アフリカの年
イギリス・フランスの地位低下、第三世界の台頭という背景があり、徐々にアフリカ諸国独立の機運が上昇します。特に1954年に始まる対フランスのアルジェリア戦争(~1962年、エヴィアン協定で終結)はアフリカの国々に勇気を与えたみたいです。
そして、このような背景があり、1960年にアフリカの17か国が一気に独立します。これが「アフリカの年」です。1960年もオリンピックイヤーですが、さすがに独立してすぐ、または独立するか否かの瀬戸際ではスポーツどうこうは言っていられませんよね。
17か国を箇条書きするとさすがに長いので割愛。ごめんなさいね。
図を挿入しようとしましたが、ネット上に良い図がなかったので、リンクを貼っておきます。興味があったらご覧ください。明治大学の教授が話しているので、信用に足る授業です。
1964年 東京オリンピック
1960年以前の動き、1960年のアフリカの年を経て、4年後の東京オリンピック、やっと1960年に独立を果たしたアフリカの国々がオリンピックに出場するに至りました。ちなみにこの時、初出場を果たしたアフリカの国々は、冨田幸祐氏の論文によると以下の通り、
・アルジェリア(フランスと戦争中の半独立状態)
・カメルーン
・チャド
・コンゴ民主共和国
・コートジボワール(当時は旧名の象牙海岸)
・リビア
・マダガスカル
・マリ
・ニジェール
・ザンビア(当時は旧名の北ローデシア)
・セネガル
・タンザニア(当時は旧名のタンガニーカ)
他にもアジアの国、マレーシア、モンゴル、ネパールも初出場でした。第三世界の地位向上が目に見えますね。
1964年の東京オリンピックは国内ではアジア初のオリンピック、第二次世界大戦からの復興オリンピックという肩書で盛り上がっていたらしいですが、国際的に見てもとても意味のある大会だったみたいですね。
ちなみに、上記のザンビア(当時は旧名の北ローデシア)は、閉会式直前に正式に独立、名称もその時にザンビアとなりました。開会式と閉会式で国名が変わる、というなんとも面白い話です。
ちなみに、他の国々も1961年以降、多く独立します。残念ながら、アフリカの年で独立した国からの内戦よる独立もありますが。
終わりに
今回は私が好きな歴史の話を語らせていただきました。2500字ほどの長い文章になってしまいましたが、雑学的なもので「なるほど」と思ってくれたら幸いです。
スポーツと平和の祭典、是非歴史的な瞬間を味わってほしいですね。
にしても、開会式、良かったですね。個人的に選手入場のBGM、ゲーム音楽以外にも、テレビアニメやアニメ映画の音楽も入れたらさらに盛り上がると思ったのですがね、スタジオジブリの音楽とか、先日、興行収入100億円を突破し、有終の美で締めくくったエヴァンゲリオンとか。ヤシマ作戦のBGM、
・「DECISIVE BATTLE」(新劇場版はフランス語「Battalie Décisive」に改
題)
・「MARKING TIME, WAITING FOR DEATH」(新劇場版は「Angel of Doom」に改題)
とかも入れていたら、国内外の視聴者の一部はたまらんかったのではないですかね。
こういう話、文字数が多くなってしまいますが、スラスラ書けるのでいいですね。また時々やっていこうかな。
〈参考文献〉
全国歴史教育研究協議会編『世界史用語集』山川出版社、2014年
冨田幸祐「1964年東京オリンピックにおける参加国・地域に関する史的研究」『笹川スポーツ研究助成研究成果報告書』巻数不明、2017年、129-135頁
浜島書店編集部『アカデミア世界史』浜島書店、2009年(2012年改訂版)
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