岩波書店・漱石全集注釈を校正する33 旗本の割戻は歯どめがなくっちゃ足踏だ
元は旗本だ
岩波書店『定本 漱石全集第二巻』注解は、「清和源氏」「多田の満仲」の説明に留める。
夏目家の「直」は夏目四兵衛直情、夏目四兵衛直晴、夏目小兵衛直克、夏目直道、夏目小兵衛直基、夏目小兵衛直克と受け継がれてきたようだが、夏目家の先祖は兄・夏目直矩ともども意識の中ではもっと遥か昔、鎮守府将軍六孫経基(源 経基)の五男、源満快にまで連なる。
夏目四兵衛直情は權三郞氏正の子である。ここで唐突に「直」の字が現れ、三郎が四兵衛になる。一方で夏目左近の系譜では「信」の字が受け継がれ、幕末明治にかけて要職にあったようだ。
夏目漱石の身分は戸籍上飽くまで平民であり士族ではない。しかし血統を横にずらすと旗本になる。本人の意識の上ではどこか源満快につらなるようなところがあったようだ。
頂戴した月給を学校の方へ割戻します
この言い分ではあたかも「おれ」が月給の前払いを受けていたかのようだが、当時も月給は後払いで、前借はあっても前払いはなかったようだ。ここにも注解が欲しいところ。
どういう了見だか、赤シャツのうちへ朝夕出入して
どういう了見だか、という言い回しで漱石は読者にその了見を考えさせることがある。ここもその場面。了見は了簡とも書かれる。(『野分』)
歯どめがなくっちゃ自転車へ乗れない
ここにも注が付かない。では「自転車の歯止め」とは万人が了解しているものなのだろうか?
野だがどの部分を指して「自転車の歯止め」と捉えたのか、実は定かではない。
自転車のペダルは踏み込めば歯車を回すが、止めれば「歯止め」になるわけではない。つまり普通に考えると「歯止め」はブレーキとなる。
しかし一応ペダルの事を「歯止め」とする呼び方もある。昔の自転車は惰力走行をしなかったとすればペダルが「歯止め」になるわけだ。ごく一般的には歯車の動きを止めるものが「歯止め」なので、ここは野だが惰力走行をしない自転車、ベロシペードを想定してペダルのことを「歯止め」と呼んだと一応仮置きしておこう。
バッタだろうが足踏だろうが
岩波書店『定本 漱石全集第二巻』注解は、
……とある。何とも煮え切らない解釈だ。「とする解もある」とは典拠も読者に探させ、判断も読者に委ねたということか。やはり「足踏」は「雪踏(せった)」の誤り、書き損じとして解釈すべきではなかろうか。
堀田が生徒を煽動しておれをいじめたと云うのか
ここも注がない。これは作品解釈における重要なポイントなので、何か欲しいところ。
どうもこの部分は『坊っちゃん』の「煽動」と対になる。父親の依怙贔屓に気が付かない「おれ」の性格がここでなぞられており、終局の誤爆に繋がると考えてよいだろう。
二十三年四ヶ月
「おれ」は物理学校を三年のストレートで卒業しているのに赴任時には二十三年四ヶ月になっている。この数字は『三四郎』でも繰り返される。「おれ」は私立の中学を二十歳で卒業している計算になる。このことはなんやかやとあって帝国大学に二十三歳で入学した漱石自身の体験と重ねられてのことだろうが、作為としてはもう少し深い意味があるのかもしれない。
自身の記憶をたどりながら、年齢を少しずらして見せる。その何気ない細工が漱石サーガでは繰り返されてきた。
たとえば「もしもこの年に文科をそこそこの成績で卒業した田舎者があったなら」と『彼岸過迄』を書いた漱石の作法は、時代性を帯びて書くという技巧として、全学連により東大入試が中止になって途方に暮れる薫くんを書いた庄司顏から村上春樹にパスされたとみてよいだろうか。実際に福田章二は十年前に東大を卒業している。
この時間軸のずらしは、血統を横にずらすのと比較して縦のずらしと呼んでもいいと思う。
……と昨日書いた。この縦のずらしによるパラレル感覚は今よりも当時かなり強烈だったのではあるまいか。
[余談]
それにしても小説を書きはじめた漱石は、普通の感覚で言えばもはや中年である。今よりも寿命の短い時代、もう四十と云うラインが見えていた漱石にとって、二十代の主人公の青春を描くことは、なかなか際どいことだったのではなかろうか。
遺作『明暗』でも漱石は三十男の生々しい苦悩を描く。平均寿命の進捗から、村上春樹が大体その辺りの男、三十六七の男に拘るのは、二人だけに通じる、特別な約束事であったように思う。
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