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沼正三は『ノルウェイの森』を読んでいた

 沼正三は『ノルウェイの森』を読んでいた。しかしその沼正三と『家畜人ヤプー』を書いた沼正三が同一人物であるかどうかは甚だ怪しい。恐らく本当の沼正三は、『ノルウェイの森』を読む前にこの世を去った筈である。このことも、私がこの世を去ればまず間違いなく誰にも解らなくなる話なので、今出来る限りの事をして、何とかヒントだけでも残しておきたい。何故なら、『余は如何にしてマゾヒストとなりし乎』の文体を見る限り、『ノルウェイの森』を読んだ沼正三は、少なくとも角川文庫版の『家畜人ヤプー』の作者であるとは思えないからだ。

 『奇譚クラブ』に連載されていた沼正三作品には『家畜人ヤプー』の外に『あるマゾヒストの手帖から』がある。これが三島の死の翌年『ある夢想家の手帖から』と改題され都市出版社から刊行される。また都市出版社から『沼正三全集』が刊行された。これにはマゾッホ作品の翻訳が含まれる。ここまでは角川文庫版の『家畜人ヤプー』の作者であろう。

 『沼正三全集』については大昔或る古本屋で見かけて店主に値段を訊いたところ、まだ一冊揃っていないので値が付けられないとのこと。やや強引ながら、自分に出し得るしかるべき金額を提示して買い取ろうとしたが断られた。従って私は沼正三作品全体に関してはいまだ寓目の機を得ていない。その古書店は取り壊されて今はない。その古書店は長嶋一茂がたまに訪れるおでん屋のあるアーケード街にあった。『ある夢想家の手帖から』は三冊とも友人が送ってくれた。本来は四冊目があるべきところ、何故か四冊目は出版されなかった。従って「奇譚クラブ」と『沼正三全集』を読まなくては何も言えないのではないかと学究の徒は言うであろうか。

 しかしそれは誤りだ。『ある夢想家の手帖から』には『家畜人ヤプー』の萌芽があり、少しずつ積み上げられている気配が間違いなくあるのだ。時には他人の嗜好に刺激されだんだん積み上がっていくプロットが見えるようだ。

 それだけではない。『ある夢想家の手帖から』は幅広い教養と本物のマゾヒストの嗜好がにじみ出るエッセイだ。ドイツ語、英語、フランス語、漢文に堪能で古今東西の奇譚に通じ、趣味の絵画を豊富に蒐集している。『ある夢想家の手帖から』の作者が三島由紀夫を感心させた本物の沼正三である。

 まず鞭と訳すべき(英)whip,(独)Peitsche,(仏)fouet等と、笞と訳すべき(英)rod,switch,(独)Rute,Gerte,(仏)vergeとを区別する必要がある。"二十の扉"式にいって、「動物」製が鞭、「植物」製が笞である。前者は鞭索(むちひも)すなわち(英)whip-cordと称ばれる皮革部(英 coilともいうし、また英 lashも厳密にはこれを指す)を有するむちの総称であり、後者は、本来木の枝を折って作ったむち(嫰枝を何本も束ねて用いることも多い)であって楚(すはえ)に当たる。奴隷の刑罰は前者を用いるが、児童の懲戒に用いるのは(独)Zuchtruteとて後者である。(エリザベス女王の皇太子チャールズ殿下が入学された私立小学校の寄宿舎では、今でも懲戒にむちが用いられるとあったが、これなど革鞭ではなく、rodでお尻をたたくだけのことである。「むちを惜しんで子を損なう」はrodであって、ウイップではない)

 しもととしてのむちはいろいろあるがいちばん恐ろしい革鞭は、(独)Krute,Karbatshe,Nagaika,Kantschu,(英仏)knout等全部スラブ系語源である。(Peitscheも然り)。形態的には、握柄(ハンドル)と鞭索(コード)とが結合しているだけのものが原形であるが、変化をつけた鞭刑用としては、昔奴隷の懲罰に用いられたスペイン鞭(英 spanish whip)、すなわち鞭索の途中に結び玉を作ったり、鉄丸を付けたりしたもの、さらには九条鞭すなわち(英)cat-o’-nine-tails,(独)Meun-Scwänzige Katze,(仏)le chat á neuf queues,つまり「九尾の猫」と呼ばれる鞭索複数の房鞭など各種がある。(仏)martinetも九条鞭のことである。

 広義の笞刑に属するなかで、特に刑罰用として籐や竹の棒を用いたものがある。古代法制でいう笞杖徒流死(チジョウジルシ)の杖がこれで、鞭より重く、西洋では鞭刑に当たるところが東洋では杖刑が用いられることが多かったようだ。徳川時代の文献で「百叩き」などというときの刑具はこれであるが、(英)cane,(独)Rohrstock,(仏)canne, trique等に当たる。これらが…(『ある夢想家の手帖から2』沼正三/都市出版社/昭和四十六年)

 むちの説明はまだまだ続く。この連載は「奇譚クラブ」で昭和二十八年六月から始まった。アベセもままならない三島由紀夫が沼正三の正体でないことも明らかだろう。注目したいのは「全部スラブ系語源である。」という言い切りと「握柄(ハンドル)と鞭索(コード)」という表現である。ゲルマン系の金髪白人を至高と見做す沼正三には、革鞭の語源がスラブ系であることに何やら不満ありげである。

 また言葉の構成力にも注目しよう。数秒前には「むちひも」と呼んだものが説明の組み立ての中で自然に「コード」に変わる。この刻々と生成される当て字の自然さこそは、今の幻冬舎アウトロー文庫版『家畜人ヤプー』の作者のダジャレ的造語との根本的な違いだ。この書き手はラテン語迄やった気配があり、どうやら捕虜となった体験があり、そこで家畜となる幸運を体験した男性のようである。『余は如何にしてマゾヒストになりし乎』の沼正三(天野哲夫)はマゾヒストではあるが、溢れ出る教養と言うものに欠ける。

 マゾヒズムの本質を精神性に見出し、エロティシズムを「エロチシズム」と表記するのは共通した点である。しかし本当の沼正三は「サジズム」とは書かない。普通に「サディズム」と書く。三島もそうだが真剣に話しているとついドイツ語が出てしまう人がいる。今でもついカタカナ言葉が出てしまう人というのは気取っているからではなく、説明したいからだろう。『余は如何にしてマゾヒストになりし乎』にはそういう要素がない。語彙は貧弱、教養も感じられない。そして何よりも創造性がない。実生活を書いたから平凡に呑み込まれるという話ではない。本当の沼正三なら必ず金髪の白人のドミナを求めるだろうが、『余は如何にしてマゾヒストになりし乎』ではそういう気配がまるでない。奇形、小人、が出てこない。明らかに変態性に欠ける。天野哲夫は『ある夢想家の手帖から』の後書きに書かれる代理人A君であろう。昭和四十六年時点で、沼正三はかなり高齢のようで、『ある夢想家の手帖から』を全篇整理し、加筆する余裕を持っていない。

 マゾッホは略称で、正しくは「フォン・ザッヘル・マゾッホ」という複姓である。(近頃の文献ではフォンは省かれているが)。彼自身記すところによると、父方Sacher家はスペイン出身、十六世初頭カルル五世に従いオーストリアに来て定住し、祖父は高官、ガリチャ貴族となった。フォンは爵位を示す。父はプラーグ市長やグラーツ市の警視総監を勤めた。Masochは母方の姓だ。彼の母はレンベルク大学総長の娘だった。が、男の兄弟がなかったので、彼は時のオーストリア皇帝の裁可を得て、この二つの姓を結合して名乗ったのである。ー志ある人がマゾッホのことを図書館で調べる場合、このことを忘れてはいけない。目録カードでMasochの所を見ると、失望する。Sの部でSacher-Masochとして引かねばならぬ。これはザッヘル・マゾッホという仮名書きだけ見ている人にはありがちな失敗である。私たちに関係の深いところで、複姓の例をもう二つ三つあげると、例のクラフト・エビング、Krafft-Ebingがそうだし、苦痛淫楽症(アルゴラグニイ)という名辞を創設した性科学者シュレンク・ノチング Schrenck-Notzingも然りである。これは老婆心までに。(『ある夢想家の手帖から 2』沼正三/都市出版社/昭和四十六年)

※マゾッホの名はレオポルド(Leopold)

 ここから読み取れることは沼正三が志を持って図書館で目録を検索していたこと、仮名書きだけで見ていなかった事、年寄であることである。別の個所ではさらりとラテン語が出て来る。ギリシャ生まれのラフカディオ・ハーン(パトリック・ラフカディオ・ハーン Patrick Lafcadio Hearn)をラフカディオ・ヘルンと呼んでいるので、どうも第二外国語はドイツ語のようだ。三国同盟当時日本ではドイツ語が盛んだったので、三島由紀夫も英語は得意ではない。(サド作品は澁澤龍彦の抄訳で読んでいるので、原文ですらすら読めるのはドイツ語と英語までか?)

 沼正三が誰かと言う問題には、もう答えが見つからないかも知れない。それにむしろ匿名作家のプライバシーは保護されてしかるべきであろうと私は考えている。しかし天野哲夫が沼正三ではないことは間違いない。そのことは沼正三の名誉のためにはっきりさせた方が良いだろう。沼正三の正体は案外こんな何気ない記述に表れていないだろうか。

 しかし、それが、全国で女社長が六〇万人、最高裁判事にさえ女性が四人いる。(昭和三〇年当時)という西ドイツのようになれば、もう目立ちようがない。両袖デスクはそこでは男性専用ではない。そして、そのような社会では、エプロン亭主という、何か特別なニュアンスを持った言い方自体が消えてしまうだろう。

 もちろんそれでもまだ男の社長、男の判事のほうが多い。男女は完全に平等にはなっていない。(『ある夢想家の手帖から 1』沼正三/都市出版社/昭和四十六年)

  普通はここで社長と判事を持ち出したりしないであろう。やるとすれば閣僚、国会議員、あたりではないか。沼正三の正体は法曹関係に詳しい者である可能性が高い。ここで「大学教授」は、とやれば大学関係者であろう。

 沼正三は台湾には出征しておらず、昭和初期に教育を受けており、砂糖黍の現物を目にしていない。初年兵を満州でやり、その時点ではマゾヒストではなかった。祖父が車夫という話は眉唾である。美智子様に手を踏まれたというのも創作だろう。コプロラグニストではあるだろう。被打兼露呈症かどうかは検討の余地あり。昭和二二年大学生だった…判断保留。子供の頃東京近郊で、大八車を輓く犬を見たこと、は本当だろう。

   作曲家・矢代秋雄が麻生保であり、そのペンネームがマゾッホをもじったものであることは確からしい。『絶歌』を書いた「元少年A」が酒鬼薔薇かどうか、これももう誰も確かめようもないことかもしれない。しかし「国語2」の能力で「懲役十三年」を書くことはできないし、『三年生になって』の実力では『絶歌』は書けない。これはシェイクスピアの経験値ではシェイクスピアの語彙を満たす事が出来ないであろうということと同じ程度の謎である。兎に角本人がそう言っているのだから本人だろうという流れで、『私が見た未来』(たつき諒諒)が再発行されるらしい。

https://books.rakuten.co.jp/rb/16761260/


 ここにもあるとおり、偽者がメールのやり取りで再発行を決めてしまったらしい。八月二十日の富士山の噴火を予言しているという事で、世間では評判になっており、アマゾンでは予約でベストセラー一位となっている。どういう経過であれ絶版本が再発売されること自体は悪いことではない。しかし残念なのは、今では本当の『家畜人ヤプー』が極めて見つかり辛くなってしまっているということだ。

 これから『ある夢想家の手帖から』を手に入れ、都市出版社の『沼正三全集』を手に入れ、幻冬舎アウトロー文庫版『家畜人ヤプー』の改悪点をいちいち指摘することはかなり困難であろう。しかし道筋はこの流れしかあるまい。『ある夢想家の手帖から』と『沼正三全集』を読み、幻冬舎アウトロー文庫版『家畜人ヤプー』を批判する、私自身にはもうその時間は残されていない。

[複姓]

 屋敷の使用人は、現地でスカウトされた。料理人がひとり。洗濯女がふたりと掃除婦がひとり。わたしたちの食事や着替えや入浴など、身のまわりの世話は、ふたりの見習い看護婦がしてくれた。いまでも一番よくおぼえているのは、ウィザーズ・ウィザースプーンという男で、番人と運転手と雑用係とを兼ねていた。                                                                                           彼の母方の姓はウィザーズ。父方の姓はウィザーズスプーンだった。(『スラップスティクス』カート・ヴォネガット/朝倉久志訳/早川書房/昭和五十八年/p.42)

[奴隷]

 ふたりの願いは、いつの日かヴィーラー・チップマンク-5・ザッパの奴隷になることだ。わたしにも異存はない。(『スラップスティクス』カート・ヴォネガット/朝倉久志訳/早川書房/昭和五十八年/p.37)

[ドイツ語]

 しかし、一族が享受していた喜びは、やがて永久に還らぬものとなった。その原因は、わたしの生まれる五年前、アメリカが第一次世界大戦に加わったのをきっかけに、すべてのドイツ的なものに対する国内の憎悪が、いっきょにむきだしにされたことにあったようだ。                                               わたしの家でも、子供にドイツ語を教えなくなってしまった。またドイツ音楽や文学や美術や科学への憧れも、奨励されなくなった。兄と姉とわたしは、まるでドイツがわたしたちにとってはパラグアイとおなじぐらい外国であるかのようにして、育てられた。(『スラップスティクス』カート・ヴォネガット/朝倉久志訳/早川書房/昭和五十八年/p.15)



 誰やそれ?








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