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初午や唸り寿司でも食べてみる 芥川龍之介の俳句をどう読むか56

初午の祠ともりぬ雨の中

 この句にもこれという鑑賞は見つからなかった。「初午の日、雨の中、祠に灯がともった」というだけの意味に受け止められて、「ふーん」されているのだろう。

はつ‐うま【初午】 2月の初の午の日。京都の伏見稲荷大社の神が降りた日がこの日であったといい、全国で稲荷社を祭る。この日を蚕や牛馬の祭日とする風習もある。〈[季]春〉。今昔物語集28「きさらぎの―の日は」

広辞苑


初午や足踏れたる申分 召波

 召波の名は前に一度出ました。蕪村高弟随一人であります。もっともよく蕪村に親炙した点においては几董に似ていますが、俳句の技倆からいったら几董以上といってもいいかと思います。ともかく、几董、召波、大魯あたりはあまり力に甲乙のない天明時代の作家であります。
 さて句意は、初午すなわち二月の最初の午の日には、稲荷神社はもとよりのこと、大名その他大きな邸宅の中にある稲荷にも多くの人が参詣するのでありますが、ふと足を踏まれた。武士として人に足を踏まれたとあってはだまっていることはできん。そこで「なぜ足を踏んだ。」ととがめ立てをするというのであります。召波はたしか武士であったはずであります。
 この句の初午という季題の使い具合は、前条の畑打などと大同小異であります。

(高浜虚子『俳句とはどんなものか』)

 なるほど。ではこの祠とは稲荷神社の祠であろうか。

 お稲荷さんに関してはこのサイトが詳しい。

ほこら【叢祠・祠】 《名詞》 (神をまつる)小さな社(ヤシロ)。「ほくら」とも。

学研古語辞典

 

明治俳諧五万句

初牛に鶯春亭の行燈かな     子規

明治俳諧五万句

初午や燈火うつる庭の池     大羽

明治俳諧五万句

初午や梅にかけたる絵行燈     一星 

 このように大きな神社では行燈が吊るされたのだろう。

初午や足踏れたる申分       召波

初午やその家家の袖たゝみ     蕪村
初午や物種うりに日のあたる       
初午や鳥羽四塚の鶏の声          

初午やくれて狸の腹鼓       子規
初午や薄はいまだ芽にいでず
初午や土手は行来の馬の糞
初午や禰宜と坊主の従弟どし

初午や半日程は田舎道
初午やふけて狸の腹鼓
初午や枕にひゞく大々鼓

芹田あり初午道の向ふ風      虚子
神主の肴さげたり一の午

吉野山奥の行燈や一の午      蛇笏
大嶽祇初午の燈は雲の中

初午や女のざいに淋し好      一茶

ざい【在】
村里。いなか。「神戸の―にある実家」

広辞苑

初午の聞こえぬ山や梅の花
初午や山の小すミハどこの里
初午を後ろに聞くや上野山

初午や屋敷屋敷の赤幟       獅子


 参加するもの、暦とするもの、さまざまな句がある中で初午の祠の句はほかに見当たらなかった。芥川の詠んだ祠とは小さな社、もしや人の入る建物でさえもない小さな稲荷神社ではなかったか。そこに不意に明かりが点いたとしたら、この雨は天気雨、狐の嫁入りなのではなかろうか。

きつね‐び【狐火】 (狐が口から吐くという俗説に基づく)
①暗夜、山野に見える怪火。鬼火・燐火などの類。狐の提灯。〈[季]冬〉
②歌舞伎の小道具。焼酎火。
③㋐浄瑠璃「本朝廿四孝」4段目謙信館奥庭の場、狐火の段のこと。 ㋑常磐津。㋐の改曲。 ㋒地歌。端歌物。元禄から正徳頃、岸野次郎三作曲。

広辞苑

 狐火が冬の季語なので春雨を降らしてはいるが、……

初午やここも稲荷ぞ天気雨
初午や火元けしかる社かな

 こういうことなのではないか。


初午や狐の剃りし頭かな      芭蕉

 つまり芥川にはこの狐に化かされるという感覚があったのではないか。

はつ午や煮しめてうまき焼豆腐    久保田万太郎

 久保田万太郎は油揚げを煮しめないで焼き豆腐にしたと云うわけか。

 どうも万太郎の句も「ふーん」されている。


【余談】

 芥川氏の特色なども段々分つて来た。大石を書いた作は、わざと大きく書かうとした点で失敗してゐると私は思ふ。『文章世界』の十月号に出た作は、才人の筆を思はしめるばかりで、氏の弱点が殊に多く出てゐるやうに思はれて惜しい気がした。

(田山花袋 田山録弥『雨の日に』初出時「トタン屋根に落ちる雨」)

 こんなところは見えていたのかな。

 見えていなかっただろうな。気が付けば書きたくなるところだ。

 ここを読まないと芥川を読んだことにはならない。


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