初午や唸り寿司でも食べてみる 芥川龍之介の俳句をどう読むか56
初午の祠ともりぬ雨の中
この句にもこれという鑑賞は見つからなかった。「初午の日、雨の中、祠に灯がともった」というだけの意味に受け止められて、「ふーん」されているのだろう。
なるほど。ではこの祠とは稲荷神社の祠であろうか。
お稲荷さんに関してはこのサイトが詳しい。
初牛に鶯春亭の行燈かな 子規
初午や燈火うつる庭の池 大羽
初午や梅にかけたる絵行燈 一星
このように大きな神社では行燈が吊るされたのだろう。
初午や足踏れたる申分 召波
初午やその家家の袖たゝみ 蕪村
初午や物種うりに日のあたる
初午や鳥羽四塚の鶏の声
初午やくれて狸の腹鼓 子規
初午や薄はいまだ芽にいでず
初午や土手は行来の馬の糞
初午や禰宜と坊主の従弟どし
初午や半日程は田舎道
初午やふけて狸の腹鼓
初午や枕にひゞく大々鼓
芹田あり初午道の向ふ風 虚子
神主の肴さげたり一の午
吉野山奥の行燈や一の午 蛇笏
大嶽祇初午の燈は雲の中
初午や女のざいに淋し好 一茶
初午の聞こえぬ山や梅の花
初午や山の小すミハどこの里
初午を後ろに聞くや上野山
初午や屋敷屋敷の赤幟 獅子
参加するもの、暦とするもの、さまざまな句がある中で初午の祠の句はほかに見当たらなかった。芥川の詠んだ祠とは小さな社、もしや人の入る建物でさえもない小さな稲荷神社ではなかったか。そこに不意に明かりが点いたとしたら、この雨は天気雨、狐の嫁入りなのではなかろうか。
狐火が冬の季語なので春雨を降らしてはいるが、……
初午やここも稲荷ぞ天気雨
初午や火元けしかる社かな
こういうことなのではないか。
初午や狐の剃りし頭かな 芭蕉
つまり芥川にはこの狐に化かされるという感覚があったのではないか。
はつ午や煮しめてうまき焼豆腐 久保田万太郎
久保田万太郎は油揚げを煮しめないで焼き豆腐にしたと云うわけか。
どうも万太郎の句も「ふーん」されている。
【余談】
こんなところは見えていたのかな。
見えていなかっただろうな。気が付けば書きたくなるところだ。
ここを読まないと芥川を読んだことにはならない。
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