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『彼岸過迄』を読む 4378 漱石全集注釈を校正する⑤ 高等遊民は経済的に恵まれている訳ではない

岩波書店『定本 漱石全集第七巻 彼岸過迄』注解に、

高等遊民 経済的にめぐまれ、職業に就かず自由な立場で生活する知識人。『それから』の代助をはじめとする漱石作品の主人公を「高等遊民」の言葉でくくることが多いが、漱石が小説でこの四文字を用いたのは『彼岸過迄』のみで、それも松本についてだけである。他には「太平の逸民」「遊民」の例がある。「本当の意味で」「文字通りの意味で」という限定は、『彼岸過迄』構想時に、社会問題として「高等遊民」が論じられていたからである。

(『定本 漱石全集第七巻 彼岸過迄』岩波書店 2017年)

 ……とある。『それから』の代助をはじめとする漱石作品の主人公を「高等遊民」の言葉でくくることが多いが、という点に関しては指摘の通り誤解が広く伝搬されている。

 その一つの原因は柄谷行人が創り出している。

 ただし、少しわかり難い説明になっている。

 おそらく注釈者には「経済的にめぐまれ、職業に就かず自由な立場で生活する知識人」という定義があくまでも漱石の理想であり、社会問題としての「高等遊民」は「高等教育を受けながら仕事が見つからないもの」であり「ならず者予備軍」であることを理解している筈なのだが、そのことが伝わりにくい表現になっているのだ。

 ここは「社会問題として」をより具体的に「高等教育の普及と就業率の問題として」とした方がいいのではなかろうか。議論の中には学校を減らすかというものまであったので、日本の近代化と併せた教育問題でもあったのは事実である。

 一般的な意味、いわゆる「高等遊民」という意味では、須永市蔵も『それから』の代助も「高等遊民」に該当する。しかし漱石はそうではない「高等遊民」を松本恒三によって再定義しようとしたのだ。

 そういう意味ではもう少し漱石寄りに、あるいは松本恒三だけの理想として再定義してもよかったかもしれない。つまり「経済的にめぐまれ、職業に就かず自由な立場で生活する知識人」ではなく、「経済的に困窮することなく、職業に就かず、家庭的で、子沢山、自由な立場で学問をする知識人」としても良いかもしれない。


[付記]

 岩波書店の『定本 漱石全集』の注解に異議を唱える、異論を唱えるとは、なかなかのことだと思う。注解を書く人はたいていは良く調べていて、書かれたものに間違いは少ない。実際岩波書店の『定本 漱石全集』の注解に間違いは少ない。しかし間違いはゼロではない

 私はこれまでそういうものは各人が判断し、それなりに情報を補いつつ、ある程度は参考にしているものなのかなと勝手に思っていた。間違いが解っていても口に出さないとか、そういうものなのかと思いこんでいた。

 しかし例えば筑摩書房の『芥川龍之介全集』は吉田精一によって解説されているため、かなりの偏見を読者に与えてしまっていることが解った。これではいけないと気が付いたのだ。

 芥川に関しては『歯車』が精神異常者の告白ではないこと、『あばばばば』が同型の物語構造を持つ『少年』同様回顧の物語である こと等を指摘してきた。
 夏目漱石作品に関しては余りにも誤解が多いので、一つ一つやるしかない。

 いよいよ岩波書店の注解にまで具体的な誤りを指摘し始めたのは、その影響力があまりにも強いということが改めて理解できたからである。
 前四回の記事はおそらく私の主張が正しい。
 自分で言うのもなんだが、これがもし本当なら驚くべき事である筈だ。
 しかし本当に驚くべきことはこれからどんと控えている。私は今回、『彼岸過迄』についてのみ書いた。
 つまり……


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