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『彼岸過迄』を読む 4375 漱石全集注釈を校正する② 赤い煉瓦は帝大なのか?


岩波書店『定本 漱石全集第七巻 彼岸過迄』注解に、

赤い煉瓦 敬太郎の三階の下宿の部屋から見える帝国大学の建物。『三四郎』の「三の一」にもこの景色を絵画的に描写した箇所がある。

(『定本 漱石全集第七巻 彼岸過迄』岩波書店 2017年)

 とある。件の『三四郎』の場面は、こう。

 翌日は正八時に学校へ行った。正門をはいると、とっつきの大通りの左右に植えてある銀杏の並木が目についた。銀杏が向こうの方で尽きるあたりから、だらだら坂に下がって、正門のきわに立った三四郎から見ると、坂の向こうにある理科大学は二階の一部しか出ていない。その屋根のうしろに朝日を受けた上野の森が遠く輝いている。日は正面にある。三四郎はこの奥行のある景色を愉快に感じた。
 銀杏の並木がこちら側で尽きる右手には法文科大学がある。左手には少しさがって博物の教室がある。建築は双方ともに同じで、細長い窓の上に、三角にとがった屋根が突き出している。その三角の縁に当る赤煉瓦と黒い屋根のつぎめの所が細い石の直線でできている。そうしてその石の色が少し青味を帯びて、すぐ下にくるはでな赤煉瓦に一種の趣を添えている。そうしてこの長い窓と、高い三角が横にいくつも続いている。三四郎はこのあいだ野々宮君の説を聞いてから以来、急にこの建物をありがたく思っていたが、けさは、この意見が野々宮君の意見でなくって、初手から自分の持説であるような気がしだした。ことに博物室が法文科と一直線に並んでいないで、少し奥へ引っ込んでいるところが不規則で妙だと思った。こんど野々宮君に会ったら自分の発明としてこの説を持ち出そうと考えた。

(夏目漱石『三四郎』)

 なるほど確かに赤煉瓦はここにもある。しかし、

 森本は窓際へ坐ってしばらく下の方を眺めていた。
「あなたの室から見た景色は相変らず好うがすね、ことに今日は好い。あの洗い落したような空の裾に、色づいた樹が、所々暖かく塊っている間から赤い煉瓦が見える様子は、たしかに画になりそうですね」
「そうですね」
 敬太郎はやむを得ずこういう答をした。すると森本は自分が肱を乗せている窓から一尺ばかり出張った縁板を見て、
「ここはどうしても盆栽の一つや二つ載せておかないと納まらない所ですよ」と云った。

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 帝大の可能性も考えた。しかしこの「洗い落したような空の裾に」という表現は遠景、視界の果てを指しており、「色づいた樹が」は銀杏並木ではなく上野の森をさしてはいないだろうか。そして「色づいた樹が、所々暖かく塊っている間から赤い煉瓦が見える」とすれば、それは上野の森の間から覗く旧上野駅の赤煉瓦の駅舎なのではなかろうか。


 

・帝大の建物は近すぎて「洗い落したような空の裾に」捉えられない。
・帝大の建物は銀杏並木には隠れない。
・帝大の建物は近すぎて画にならない。とくに盆栽に合わせるような風流な画にはならない。すこぶる西洋的な画になる。

 彼はともかくも二日酔の魔を払い落してからの事だと決心して、急に夜着を剥って跳ね起きた。それから洗面所へ下りて氷るほど冷めたい水で頭をざあざあ洗った。これで昨日の夢を髪の毛の根本から振い落して、普通の人間に立ち還ったような気になれたので、彼は景気よく三階の室に上った。そこの窓を潔く明け放した彼は、東向に直立して、上野の森の上から高く射す太陽の光を全身に浴びながら、十遍ばかり深呼吸をした。こう精神作用を人間並に刺戟した後で、彼は一服しながら、田口へ報告すべき事柄の順序や条項について力めて実際的に思慮を回らした。

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 田川敬太郎が見下ろす景色は帝大の建物に隠されることなく上野の森を捉える。視界の端にあるのは上野の森で、そこから覗くのはやはり旧上野駅の赤煉瓦の駅舎であろう。

 これで風流な画になる。

[余談]

 断じて容認できない、という言葉、最近別の意味に聞こえて来た。「じゃ、ほかになんといえばいいというんだ」みたいに。


 正直すぎる。


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