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2023年8月の記事一覧
芥川龍之介の『神々の微笑』が解らない③ いくら何でも古すぎる
日本は特別な国?
芥川本人の記憶によれば、『神々の微笑』が書かれた大正十年十二月は、最もひどい神経症に悩まされていた時期であったはずだ。大正六年に書いている通り、(漱石の命日が十二月九日であるにもかかわらず)もともとこの寒い十二月そのものはもっとも気乗りのする季節ではあった筈だが、そんな好みも次第に変化していったのかもしれない。
その精神状態は格別作品に影響を与えてはいないように思われる。
芥川龍之介の『老いたる素戔嗚尊』が解らない⑥ 老害としての素戔嗚?
男らしくもない
さて素戔嗚は「彼等」に恨みがあるらしい。「嫉妬心の深い、陰険な、男らしくもない彼等」とは高天原の神々のことであろう。しかし「嫉妬心の深い、陰険な、男らしくもない彼等」が高天原の神々とはどういうことか。
そもそも『古事記』そのものが訳の分からない話ではあるものの、おとぎ話として読めばそれほど理解を拒むようなものではない。だから『古事記』を『古事記物語』に焼き直す鈴木三重
芥川龍之介の『老いたる素戔嗚尊』が解らない⑤兼『神々の微笑』が解らない② そもそもその呼び方は
※菊石 ……アンモナイト
大日孁貴の文字は青空文庫の中では内藤湖南の『近畿地方における神社』の他は芥川の二作と、この「日本語の魔術師」北原白秋の詩一篇の中にしか現れない。
一方天照大神は73件、天照大御神が10件。ごく標準的な見立てとして、近代文学の中で大日孁貴という呼び名そのものが極めてまれなものであり、北原白秋の詩人としての本質を信じるのであれば、それは「まがまがしき」呼び名であろ
芥川龍之介の『老いたる素戔嗚尊』が解らない③ 何だか捻じれている
大正四年八月、芥川龍之介は井川恭とともに松江を訪れ、出雲大社にも行っている。ところが『松江印象記』では松江がたいそう褒められていて、出雲のことは一言も出てこない。松江は宍道湖に面した内陸にあり、出雲大社は松江から見ると宍道湖の対岸をさらに進んだ海っぺりにある。
出雲大社を見て一言もないのは妙なものだし、『老いたる素戔嗚尊』では「出雲の須賀」と書きながら、松江を思い出さないことも考えられない。
芥川龍之介の『老いたる素戔嗚尊』が解らない① なぜそこで終わらない?
このところ立て続けに分ったような話ばかりを書いているので、久々に分らないという話を書いてみたいと思います。今のところ『温泉だより』と『奇怪な再会』は「解らない」ということが解っています。
まあ漱石の『明暗』のお見合いの席の並びのようなものです。
一方『道草』の干支のパズルは解くことが出来ました。
いつか『老いたる素戔嗚尊』もこういう形で理解されるようにという期待を込めて、解らないとこ
芥川龍之介の『舞踏会』をどう読むか④ 僕の性欲のゆくえ
芥川の『舞踏会』に関しては既にこのようなことを述べている。
・明子は仏蘭西人将校にも美しいと思われていたのだろうか
・「美しく青きダニウブ」なのに独逸管絃楽?
・明子の子も頭が禿げるのではなかろうか
・フランス人将校は花火は我々の生のようであると言っていて、それが長いとも短いとも言っていない
・『舞踏会』の明子はアイスクリームを食べるので知覚過敏ではない
・『舞踏会』は『たね子の憂鬱』『糸女