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芥川龍之介の『老いたる素戔嗚尊』が解らない③ 何だか捻じれている

 大正四年八月、芥川龍之介は井川恭とともに松江を訪れ、出雲大社にも行っている。ところが『松江印象記』では松江がたいそう褒められていて、出雲のことは一言も出てこない。松江は宍道湖に面した内陸にあり、出雲大社は松江から見ると宍道湖の対岸をさらに進んだ海っぺりにある。

 高志の大蛇を退治した素戔嗚は、櫛名田姫を娶ると同時に、足名椎が治めてゐた部落の長となる事になつた。
 足名椎は彼等夫婦の為に、出雲の須賀へ八広殿を建てた。宮は千木が天雲に隠れる程大きな建築であつた。

(芥川龍之介『老いたる素戔嗚尊』)

 出雲大社を見て一言もないのは妙なものだし、『老いたる素戔嗚尊』では「出雲の須賀」と書きながら、松江を思い出さないことも考えられない。素戔嗚尊隠遁の地は隠岐の島ではなく宍道湖のほとりでもよかったと思う由である。

 ところでそのその『松江印象記』には出雲のことは一言も出てこない代わりにこんな剣呑な文句がある。

 橋梁に次いで、自分の心をとらえたものは千鳥城の天主閣であった。天主閣はその名の示すがごとく、天主教の渡来とともに、はるばる南蛮から輸入された西洋築城術の産物であるが、自分たちの祖先の驚くべき同化力は、ほとんど何人もこれに対してエキゾティックな興味を感じえないまでに、その屋根と壁とをことごとく日本化し去ったのである。寺院の堂塔が王朝時代の建築を代表するように、封建時代を表象すべき建築物を求めるとしたら天主閣を除いて自分たちは何を見いだすことができるだろう。しかも明治維新とともに生まれた卑しむべき新文明の実利主義は全国にわたって、この大いなる中世の城楼を、なんの容赦もなく破壊した。自分は、不忍池を埋めて家屋を建築しようという論者をさえ生んだわらうべき時代思想を考えると、この破壊もただ微笑をもって許さなければならないと思っている。なぜといえば、天主閣は、明治の新政府に参与した薩長土肥の足軽輩に理解せらるべく、あまりに大いなる芸術の作品であるからである。今日に至るまで、これらの幼稚なる偶像破壊者の手を免がれて、記憶すべき日本の騎士時代を後世に伝えんとする天主閣の数は、わずかに十指を屈するのほかに出ない。自分はその一つにこの千鳥城の天主閣を数えうることを、松江の人々のために心から祝したいと思う。そうして蘆と藺との茂る濠を見おろして、かすかな夕日の光にぬらされながら、かいつぶり鳴く水に寂しい白壁の影を落している、あの天主閣の高い屋根がわらがいつまでも、地に落ちないように祈りたいと思う。

(芥川龍之介『老いたる素戔嗚尊』)

※薩長土肥…薩摩、長州、土佐、肥前。

 田舎者の新政府が気に入らぬ江戸っ子らしさが出てしまっている。しかしそれならば、何故今更出雲神話を持ち出してきたのだろうか。

 ここから少々ややこしいが「素戔嗚」の表記は『古事記』ではなく『日本書紀』の方に沿っている。「櫛名田姫」の表記は『日本書紀』ではなく『古事記』に沿っている。『古事記』においてスサノオノミコトは「須佐之男命」であり『日本書紀』においてクシナダヒメは奇稲田姫(くしいなだひめ)、稲田媛(いなだひめ)、眞髪觸奇稲田媛(まかみふるくしいなだひめ)と呼び方さえ異なる。葦原醜男は『日本書紀』の表記、天照大御神を大日孁貴神と呼ぶのは『日本書紀』である。芥川の表記は全体としてそれらの折中である。


古事記 上巻 古典保存会 編古典保存会 1930年

 話としても『古事記』では須世理姫と葦原醜男の間には子がなく(『日本書紀』には須世理姫は出てこない。)、須佐之男命の子孫である大国主命は鳥取神を娶り、鳥鳴海神という子を無し、この子が大国主命の系譜をつないでいくことになる。

 つまり、

おれはお前たちを祝ぐぞ!
 素戔嗚は高い切り岸の上から、遙かに二人をさし招いだ。
「おれよりももつと手力を養へ。おれよりももつと智慧を磨け。おれよりももつと、……」
 素戔嗚はちよいとためらつた後、底力のある声に祝ぎ続けた。
おれよりももつと仕合せになれ!
 彼の言葉は風と共に、海原の上へ響き渡つた。この時わが素戔嗚は、大日孁貴と争つた時より、高天原の国を逐れた時より、高志の大蛇を斬つた時より、ずつと天上の神々に近い、悠々たる威厳に充ち満ちてゐた。

(芥川龍之介『老いたる素戔嗚尊』)

 ……といくら言祝がれても『老いたる素戔嗚尊』のストーリーでは素戔嗚尊の遺伝子はつながらないことになる。そして様々な形でお話としての『古事記』を見聞きしてきた者(それは様々な形でお話としての『日本書紀』を見聞きしてきた人間よりはるかに多いだろう。)にとっては、かなり先が見えている話なのである。

 無論「お前たち」と言いながら、「手力」と言ってもいるので、この言祝ぎは主に葦原醜男に向けられており、幸福になるのは葦原醜男だけであっても良いのかもしれない。ただ芥川はあれこれ折中した揚句に、娘の幸福を閉ざし、血脈を絶った、言祝ぎではなく呪詛の物語のようにも読めてしまうのである。

 勿論これは『古事記』『日本書紀』『出雲風土記』などのネタ元自体に捻じれがあることからある程度はやむを得ないことではある。大国主命に様々な異名があることから考えても、いくつもの神話が組み合わされた可能性が否めないとして、芥川龍之介という作家が一つの作品を仕上げるにあたって、何某かのチョイスをしていった結果であることもまた否めないのである。

 これは単に出雲系神話を担ぎあげる話でもないし、明治神話への批判であるとすればいささか悠長に過ぎるのかもしれない。

 ただ色々と捻じれていることは間違いない。

 何故捩じったかというところは今日の時点では分らない。

 明日解る?


これ成功したらすごいな。

 時価ってどういうことやねん。

 やった。

 これ凄い。

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