芥川龍之介の『老いたる素戔嗚尊』が解らない③ 何だか捻じれている
大正四年八月、芥川龍之介は井川恭とともに松江を訪れ、出雲大社にも行っている。ところが『松江印象記』では松江がたいそう褒められていて、出雲のことは一言も出てこない。松江は宍道湖に面した内陸にあり、出雲大社は松江から見ると宍道湖の対岸をさらに進んだ海っぺりにある。
出雲大社を見て一言もないのは妙なものだし、『老いたる素戔嗚尊』では「出雲の須賀」と書きながら、松江を思い出さないことも考えられない。素戔嗚尊隠遁の地は隠岐の島ではなく宍道湖のほとりでもよかったと思う由である。
ところでそのその『松江印象記』には出雲のことは一言も出てこない代わりにこんな剣呑な文句がある。
※薩長土肥…薩摩、長州、土佐、肥前。
田舎者の新政府が気に入らぬ江戸っ子らしさが出てしまっている。しかしそれならば、何故今更出雲神話を持ち出してきたのだろうか。
ここから少々ややこしいが「素戔嗚」の表記は『古事記』ではなく『日本書紀』の方に沿っている。「櫛名田姫」の表記は『日本書紀』ではなく『古事記』に沿っている。『古事記』においてスサノオノミコトは「須佐之男命」であり『日本書紀』においてクシナダヒメは奇稲田姫(くしいなだひめ)、稲田媛(いなだひめ)、眞髪觸奇稲田媛(まかみふるくしいなだひめ)と呼び方さえ異なる。葦原醜男は『日本書紀』の表記、天照大御神を大日孁貴神と呼ぶのは『日本書紀』である。芥川の表記は全体としてそれらの折中である。
話としても『古事記』では須世理姫と葦原醜男の間には子がなく(『日本書紀』には須世理姫は出てこない。)、須佐之男命の子孫である大国主命は鳥取神を娶り、鳥鳴海神という子を無し、この子が大国主命の系譜をつないでいくことになる。
つまり、
……といくら言祝がれても『老いたる素戔嗚尊』のストーリーでは素戔嗚尊の遺伝子はつながらないことになる。そして様々な形でお話としての『古事記』を見聞きしてきた者(それは様々な形でお話としての『日本書紀』を見聞きしてきた人間よりはるかに多いだろう。)にとっては、かなり先が見えている話なのである。
無論「お前たち」と言いながら、「手力」と言ってもいるので、この言祝ぎは主に葦原醜男に向けられており、幸福になるのは葦原醜男だけであっても良いのかもしれない。ただ芥川はあれこれ折中した揚句に、娘の幸福を閉ざし、血脈を絶った、言祝ぎではなく呪詛の物語のようにも読めてしまうのである。
勿論これは『古事記』『日本書紀』『出雲風土記』などのネタ元自体に捻じれがあることからある程度はやむを得ないことではある。大国主命に様々な異名があることから考えても、いくつもの神話が組み合わされた可能性が否めないとして、芥川龍之介という作家が一つの作品を仕上げるにあたって、何某かのチョイスをしていった結果であることもまた否めないのである。
これは単に出雲系神話を担ぎあげる話でもないし、明治神話への批判であるとすればいささか悠長に過ぎるのかもしれない。
ただ色々と捻じれていることは間違いない。
何故捩じったかというところは今日の時点では分らない。
明日解る?
これ成功したらすごいな。
時価ってどういうことやねん。
やった。
これ凄い。
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