普通はそうは呼ばない 牧野信一の『闘戦勝仏』をどう読むか⑤
私は恐らく悟空ではない。牧野信一も悟空ではない筈だ。しかし何故私は悟空のセクシュアリティ(の揺らぎ)の中に牧野信一のセクシュアリティ(の揺らぎ)を錯覚してしまうのであろうか。
それはもしや私が悟空を媒介として牧野信一の何ものかを探ろうとているからではなかろうか。
おそらく雄である筈の悟空が、おそらく男である筈の王の手を舐める。それはペットと人間の関係においては通常でも起こりうることではあるが、牧野信一はそれがさも自然な成り行きでもあるかのように、少しもタブーを意識さ